チンメルマン・ノート事件

ドイツ外務省は無制限潜水艦戦の再開を宣言する前に、アメリカとの外交選択肢を検討した。ドイツ外務省の判断ではアメリカのドイツにたいする参戦は避けられないというものだった。

前後関係を整理するとドイツがルーデンドルフの主張により無制限潜水艦戦を再開したことにより、アメリカは「サセックスのプレッジ(宣誓)」に背いたとして国交を断絶した。サセックスのプレッジとはサセックス号(英仏間のフェリー)撃沈のあとドイツが無制限潜水艦戦の中断を声明したことをさす。この中断声明が宣誓になったのはウィルソンの世論誘導だが、現在もアメリカの教育界では受け入れられている。

チンメルマン(Zimmermann, Arthur:1854-1940)
東プロイセンのマルググラボワで生まれた。ケーニヒスベルグとライプチヒで法律を学び、のち博士号を取得している。1893年外務省に入省し、北京および広州で領事となり北清事変に遭遇している。1911年外務省次官となり、直前外交では、オーストリアへの白紙小切手事件(Kronrat)に立ち会っている。1916年ヤゴウのあとを継ぎ、外務大臣となった。第2帝政における唯一の非貴族階級出身の外相である。ただ在任期間は11カ月に過ぎない。

国交断絶はそのまま宣戦を意味しないが極めて強い措置である。その前は停戦のため仲介の役割を果たそうとしていたのだから、この措置をみてドイツがアメリカの参戦を覚悟したのは頷ける。だが実際にアメリカはこの時点で参戦を決めていなかったようである。

決めていたのは、戦争を終わらせるためにアメリカがなんらかの役割を果たさねばならない、ことだけだった。外交手段と実体のギャップが、アメリカとの外交を難しくする。ドイツ外務省はブルガリアにたいするのと同じのりでメキシコを同盟国として得ようとする。

このためメキシコの獲得領土としてアメリカのカリフォルニア他をエサとしてドイツと同盟して参戦することを提案する。ここからはドイツ特有のヨーロッパ以外についての無関心・無知が現れる。メキシコ人は確かに50年前カリフォルニアを失ったが、もともとヨーロッパ人程領土に興味はない。その上多少金を産したにせよ、最良の土地カリフォルニアは当時砂漠だった。水を引いたのはアメリカ人だ。

米墨戦争

そして内乱に明け暮れていて実体上政府が有効支配していない地域が国内の大部分だった。政府は少なくとも外国との戦争ができる状態になく意思もない。

そしてイギリス政府はこのドイツ外務省(チンメルマンはこの時外相)から出先の電報の暗号を解読していた。いきなり暴露すれと解読の秘密が露見し今後の諜報活動に障るので慎重だったが1917年2月24日アメリカ政府に通報した。1917年4月1日、新聞はこれを発表した。4月6日アメリカはドイツに宣戦を布告した。

チンメルマンノート全文

我々は2月1日を期して、無制限潜水艦戦を開始する。これにもかかわらず、アメリカの中立維持にむけ努力する。ただこれに成功しない場合、次の条件でメキシコと同盟の提案を行うものとする。

同盟しての戦争、共同しての和平、金融支援、アリゾナ・カリフォルニア・ニューメキシコの失地回復、合意の詳細は貴下に一任。アメリカとの戦争が開始されたら秘密裏に(メキシコの)大統領に上記を通知すること。

そして大統領のイニシアチブで日本もこの同盟に加入することを働きかけ、同時に日本と我々の仲介の労をとること。

数ヶ月も経ないうちに、この容赦ない潜水艦戦でイギリスを屈服させることができることに注意を向けさせること。

これを読むとよほど冷静な国民でも逆上するのは頷ける。またこのような秘密電報を解読されるようでは、潜水艦戦勝利もかなり厳しいな、と思わざるを得ない。

チンメルマンノートの解読

チンメルマンは大戦期間中にこの電報が真実のものであることを認めている。相当荒唐無稽だと思わざるをえない。この中で日本が出てくるが、歴史上条約破りという信義のない外交はいまだ実施したことがない、という点はせめてアメリカの教科書(この全文はだいたいのアメリカの高校教科書に出てくる。)に注意を向けさせて欲しいと思うのだが。

ドイツは開戦後2年半でヨーロッパに兵を送らないのをみて、脈ありと判断した可能性がある。またこういった外交をする国と23年後だが同盟を結ぶことをどう考えたらよいのだろうか。

寺内正毅の談話およびチンメルマンの演説

また大戦前から日本は軽巡出雲をメキシコにおける在留日本人の保護を目的として派遣していた。ところが日本の駐メキシコ大使(安達峰一郎)は個人的にウエルタ派を支持しまたよくある「任地ボレ」で日本の存在をメキシコ国内にアピールしようとした。このため独断で出雲乗組員18人をメキシコシティまで案内し軍事的存在をメキシコに示した。これをウエルタ派は歓迎したが、アメリカの支持するカランサ派は歓迎せず、アメリカ政府に日本が不当なことをしていると訴えた。この顛末が記事となったため、ドイツは日米間に楔が打てるものと思ったのかもしれない。



Tuchman, Barbara, The Zimmerman Telegram, New York, 1958

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