スターリン時代ソ連歴史学者の第1次大戦の原因についての論評


まだ社会主義または共産主義が光を失っていない頃、日本人読者のため、ソ連歴史学者ヴァルガが小冊子「ドイツ帝国主義の歴史的特殊性」を発表し、出版した。1946年に刊行された当時は競って読まれたものである。

ヴァルガはハンガリー出身の経済歴史学者で、第1次大戦直後のベラクーンの指揮するハンガリー革命に参加した。その後オーストリアを経てソ連に移住、ヴァルガ社会経済研究所を主宰、その5ヵ年計画の論評は、全世界の共産主義者に大きな影響を与えた。ただ特徴はあまり独創性のない古典からの博覧強記の引用にある。当時ハンガリーのブタペストは、まず例のない受験戦争社会だった。大学に入るための有名高校が2校あり、秀才がしのぎをけずった。第1次大戦前の20世紀にそれらの高校に通った学生から、コンピュターの創始者ノイマン始め6人のノーベル賞受賞者がでている。これまでにハンガリーの受賞者は合計で11名にすぎない。ヴァルガもそれらの高校に通った1人である。

ヴァルガは1937年の粛清を生き抜き、1964年、天寿をまっとうした。

結語だけ抜粋すると次ぎの通りである。

「西欧列強に比しておくれて発達した産業資本主義が、どうにか発展の時期にはいったのは、西欧諸国におけるプロレタリアが、すでにブルジョアジ(ママ)にとって一つの脅威となっていた時であった。


この歴史的情勢から次ぎの如き結果が生じたのである。すなわち、ドイツのブルジョアジはプロレタリアの援助を受けて、初めて封建的地主に対しブルジョア革命を勝利に導くことが出来たのであるが、然るにドイツのブルジョアジは却ってブルジョア革命を見捨て、反動的な封建勢力にすがって、プロレタリアを敵とするに至った。


そのためドイツ資本主義は、イギリスやフランスやアメリカの資本主義とは違って、特別に反動的性格を帯びてきた。ドイツのブルジョワジがプロレタリアを恐れるあまり、ブルジョワ革命の勝利によって『下からの』統一を遂行する能力のないことが分かって以降、プロイセンが『上からの』帝国統一を復興して、ドイツに覇を唱えるや、ドイツ資本主義の反動的性格はいよいよ甚だしくなった。


ことにプロイセン・ユンケルの権力は、農業発達の『プロイセン型進路』によって強化された。独占資本主義の発達につれて、ブルジョワジの経済力は大地主のそれをはるかに凌駕するに至ったとはいえ、ブルジョワジはその後も反動的勢力と権力を分かち合い、行政権と軍隊とを貴族に一任したが、プロイセン軍閥精神は彼ら自身の帝国主義侵略政策に役立つものとなしたのであった。


ドイツ帝国主義の武力によって世界を再分割せんとした最初の運動は第1次世界大戦において失敗にきした。」

訳は相当に素晴らしい。おそらく原本の迫力を上回るのではないか。このあとヒトラー運動もこの延長にあると説明する。そして(第2次大戦後ソ連占領下の東ドイツで)この根を断つために、ドイツの工業資産を強奪し、被侵略国よりも生活のレベルを落とす必要がある、と結んでいる。ここはさすがに宣伝上よくないと判断したのか意図して誤訳している。

このように内容はソ連の現行政策合理化のため主張しているにすぎないが、ここにみられる主張がまだ日本では光を失っていないようにみえる。

ドイツとイギリスのGNPは第1次大戦開戦直前でドイツのほうがすでにやや上回っていた。植民地の保有と資本主義の発展=GNPの増大は関係がない。なぜ植民地を当時人口比多量にもっていたポルトガルが発展しないのか。資本主義の発展を求める勢力=産業資本家が植民地を求めることは普通ない。

GNPの伸びが発展とすると、国民国家の成立と人口(=市場 この市場は中産階級に担われないと消費が技術革新と商品魅力と結びつかない。)5000万から2億人の適正規模の市場の存在が資本主義発展の鍵ではないか。

経済力のある人間がそう未開地に行きたがるわけではない。また征服に喜びを見出すというのは、口にだして当時実感があったのだろうか。資本家が植民地を平和な時代に組織で要求することはない。むしろ反対である。資本家(定義があいまいだが)が政党を組織することもまずない。通常は政府の干渉をうるさく感じるだけである。ただ普通の資本家は普通の労働者と同じように国家主義者である。

プロイセンのユンカーはすでに没落していた。多くのドイツの軍人は故郷に領地はもっていない。ヒンデンブルグですらノイマルクの土地は戦後改めて寄付をうけたものである。ドイツの軍人は官僚として終身雇用でやってゆくしかなかった。あるのはVONという肩書きだけだった。またルーデンドルフを筆頭に大戦後期の軍事指導者はユンカーではない。またヴァルガはこのユンカー勢力が第2次大戦まで反動勢力としてドイツを支配したというが、ヒトラーに最後まで断固として抵抗したのも参謀本部に残った僅かなユンカーであり最後は1944年7月に暗殺未遂事件を引き起こした。

そもそもユンカーとブルジョワジーによる権力の分かち合いとはなんだろう。共同で政党を作ったのだろうか。それとも代表する政党が共同でなにかしたのか。それとも政府を動かす秘密結社があったのか。ヴァルガは二、三それらしい組織をあげている。だが全く根拠がない。もちろん歴史はすべて秘密結社とかユダヤ人、極端な場合は情報機関のエージェントに動かされているという見方もある。しかしそういう見方を非科学的というのではないか。

そもそも階級政党と自ら標榜するのは普通共産党だけだ。それだから自分以外も同様にすると考える必要はないではないか。ドイツの…党がブルジョワ政党だとか、裏切りの労働者政党というのは真面目に歴史を分析する態度とは思えない。

階級が普通、政党を作ったりしない。普通の政党や官僚は国家(国民)主義を標榜しまた実践するから特定階級の利益のために動かない。問題は国家主義の方法と世界平和についての考え方である。政党の場合階級政党に徹すれば選挙で破れる。ユンカーは立派な愛国者として軍人になるものが多かったがそもそも政治にあまり興味を示さなかった。

軍人官僚についての批判がヴァルガにないのも理解できない。ドイツの参謀本部による第1次大戦の後半期の独裁は異様である。そして批判(批判の自由)のないところの落ち着く先で本来の軍事作戦を失敗した。だがこの軍事独裁をその後日本が模倣した印象がある。

本編は政治宣伝だから敵とみなすグループに悪罵を投げかけている。それでもヒトラー運動とナチスの政治運動を呼んでいる。


日本のマルクス主義歴史学者が無定義で戦間期日本の政治体制を天皇制ファシズムと呼ぶのはなぜだろう。ファシズムは民主主義・君主制の否定(イタリーは違うがムッソリーニは王家に儀礼的役割しかさせなかった。)・社会主義(スペイン・アルゼンチンをみよ)・一人独裁に特徴がある。そして議会制民主主義を否定して一人独裁をもちこむもので、多くはクーデターでなく民主的手続きで国民の支持にもとづいて、政権を得た。多くはブルジョワジー(産業資本家)と貴族を最大の敵とみなした。これと戦間期の日本とどこが共通しているのか。チャーチルの言うようにファシズムは共産主義の双生児(醜い子供とも)といったほうが近い。むしろファシズムを防止するのは一人独裁と矛盾する君主制ではないのか。

ただスターリン歴史学にも指摘として肯定できるものもある。民族は人種、宗教、言語ではなくて歴史だという。これはある点で正しいのではないか。それともスターリンがジョージア人のため主張したのだろうか。また民族固有の性癖で説明するのは無理だという。すなわちドイツ人の好戦性に原因を求めるべきではないという。これも一半の真理は存在する。

ソ連の歴史学はなぜユンカーを強調するのだろうか。やはり両次大戦のドイツ軍の強さがその率いる将軍の優秀さであると考えたためではないか。スターリンはニュールンベルグであくまでドイツ参謀本部の軍人を全員裁判にかけることに固執した。また抑留したドイツ軍将兵のうち名前にVONのつく人間を差別的に虐待したという。やや小児的と言うべきだろう。人間を出身でみる寂しさがある。

むしろ問題なのはドイツの議会政治家があまりにも軍事・外交に無見解なことではないだろうか。ドイツの特殊性は、ユンカーよりむしろ議会比較多数派のマルクス主義政党の社会民主党の存在にある。マルクスは国際主義を標榜した結果、外交・軍事で現実的な見解を打ち出せなかった。社会民主党は造船労働者の関係で建艦政策を支持し反面外交ではイギリスとの協調を主張した。第1次大戦が開始されると、ロシアの動員により戦争が始まったとして戦争賛成に回った。

この状態では議会で外交・軍事は常に論争点にならず、ついに有力な外交・軍事を論ずる議会政治家が現れなかった。これは、五大国のうち独露に典型的にみられる。付言すればハンガリーのティサは議会政治家である。戦争というのは普通最も国益に反することだ。防衛戦争であればともかく、自軍が意図して国境を越える行為が軍部以外に掣肘されないというのはやはり予算を掌握している議会人に問題があるだろう。それとも社会民主党はブルジョワ政党なのか?

またヴァルガの論文の本質的な誤りは、人間は状況が同じであれば画一的な行動に出る、という点だろう。同じ階級に属していても人は違う判断をする。それどころか、同じような状況下でも同一人が同じ失敗を何度も繰り返す。これはもちろん違う人間が修正することもある。戦争ではしばしばそれで戦闘の勝敗が決まる。勝敗が必然的というのはスローガン以外にはない。人間は簡単に規格化できないのだ。

第1次大戦は交戦国の武器装備が拮抗していた。しかも従来からある兵器が主流だった。まったく戦争と関係がなかったポーランドの銀行家が大戦争の行方を薄気味が悪いほどの正確さで予言している。しかもこの本は当時のベストセラーになっていた。

勝敗の帰趨が交通機関の発達に影響される、という点すら将軍たちの理解は及ばなかった。一点を大量の兵士で突破するより、それと同数の兵士で多点を突破する方がやさしい、という単純であるが逆説的な兵理をドイツ参謀本部はついに理解できなかった。そしてヴァルガが恐れるユンカーと参謀本部がドイツの敗因をなした可能性も大だ。

この逆説を将軍のなかで最も早く理解したのはロシアのブルシロフだが僚友に説明するのに失敗した。そして理論として明快にしたのはフランスのペタンだろう。戦後フランス参謀総長ビュアはそれを論文とした。旧陸軍はビュアに何度も説明を受けたがついに理解できなかったとみえ、結論は『連合国は物量で勝った』というものであった。そしてこの見解はいまだに主流である。

だがペタンの兵理も第1次大戦で大量の兵士が向かい合っているときのみ有効だった。フランスは1940年5月10日から元伍長補ヒトラーの率いた機甲師団に90日で屈服する。

                         (別宮 暖朗)

参考
ヴァルガ ドイツ帝国主義の歴史的特殊性 廣島定吉訳 新興出版社 1946

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