ブレストリトウスク条約の効力は8ヶ月しかなかった。西部戦線で休戦が成立するとソ連政府はすぐさま無効を宣言した。そして内容は非常に単純で、僅か14条しかない。もちろん付属文書や委員会での決定事項がある。また双方とも暫定的なという認識があったようだ。
しかしこの条約で示される国境線は現在の国境線と酷似している。むしろ今の地図を利用した方がわかりやすい。ベルサイユ条約は恒久的な意図で作られたが、国境線を除いては、役に立たない国際機関が残存しているだけで現在に通用するものは何もない。また白ロシア・ウクライナを除いて、ロシア西部国境はベルサイユ条約でも踏襲されている。20世紀の戦後処理が失敗する、とくに戦勝国があとで対立するのはなぜだろうか。
ともすれば実務上のことを越えて、心の領域まで戦勝国が踏み込もうとするためではないいだろうか。ブレストリトウスク条約は形式上のことだけで、心とか道徳に踏み込んでいない。
もちろん、ロシアに加えられた領土削減は当時の目からみて厳しいものがあった。白ロシアがロシア本国と別民族かはわからない。ウクライナも歴史を除く(キエフ大公国の時代まで遡れば)と言語(方言だが相互理解は可能)・宗教で差はない。しかし歴史的に白ロシアはモスクワに従順で、ウクライナは常に独立を要求した。経済的な独立が可能なことが原因かもしれない。また条約では賠償金について放棄している。これが何故ベルサイユ条約のとき参考にされなかったか疑問だ。(ただし経済条項のなかにバクー油田の優先利用権がある。)
戦後、両国はラッパロ条約で改めて賠償放棄を確認する。ただ、ラッパロ条約は秘密協定としてベルサイユ条約に違反する軍事協約を含んでいた。この条約交渉の際、トロツキーは秘密外交の撤廃を要求したが、それと明らかに矛盾している。またこの秘密協定を仲介したのはエンベルパシャだというのも面白い。
ラッパロ条約
このドイツの厳しい領土放棄要求はルーデンドルフまたはドイツ参謀本部の軍事占領地の確保から来ている。この原則はトルコのサンステファノ条約による失地の回復を第4条で認めていないことでも明らかだろう。(この時点でトルコは未占領。)しかし軍事で全て領土を決定すると、強盗の論理で平時の国際法は成り立たない。キュールマンらドイツ外務省はこの軍部の方針に抵抗を示したが最後は押し切られている。このルーデンドルフ=ドイツ軍部の方針は居住民の意見が全く考慮されない点からみても、近世の法体系から逸脱している。シナ事変の際の日本軍部も論理としてもっていたがここまでは要求していない。
この方針はまた西部戦線の妥協による平和を不可能にしまたパリ講和会議で連合国がドイツを呼ばないという結果を招いた。ドイツがこの方針を言えば、講和は当然成り立たないからだろう。またウィルソンも14ヶ条提案の演説の際、問題点を指摘している。
しかし一旦ロシアから土地を奪って次ぎに何をするかは条約からみても未定だったようだ。ウクライナ・ポーランドについてオーストリアは食料難も手伝って触手を伸ばしたが、ドイツは決断がつかなかった。ドイツは自称帝国であるが、他民族を抱え込む国家の道には踏み込めなかったのだろう。属国にすることが有力だが隣接していれば反乱の種にすぎず、大概は経済的に持ち出しである。
このことはドイツ(ハプスブルグ帝国が隣接していた)の領土拡張を難しいものとする。すなわち他民族が住む土地は何かしないと併合できないことになる。ヒトラーの外交政策または人種政策はこのあたりから種がまかれている。
また戦間期の日本とも無縁ではない。満州国を属国として作ったとき、国際法上の取り扱いが問題となった。独立国とすれば他に指示をうけない外交権能が要求される。関東軍は五族共和を謳ったが、内国民として平等の待遇を与えるつもりはなかったようだ。この時外務省の若手官僚は満州国内の中国人を全員殺戮または送還(当時満州にいた中国人で合法的に満州に来た人間はほとんどなく、多くは山東省からの流民で自主的に帰郷することは難しかった。)し日本と併合することを主張したという。結局帝国ビジネスは採算に合わないのだ。
第1条 ドイツ、オーストリア、ブルガリアそしてトルコ(4国)を一方として、またロシアを他方として、戦争状態が終結したことを宣言する。両者は互いに今後平和裏に生存することを決意する。
第2条 条約当時国は他方の政府、大衆、軍事組織にたいし扇動や宣伝をしない。この義務がロシアに関連するものとして、4国の占領地域にも有効である。
第3条 条約当事国で合意された線の西側、かってロシアの領土であるが、は最早ロシアの主権に属さない。この合意された線はこの平和条約の基本的な部分である。細目については独ソ委員会で決定される。かってロシアが負っていた債務についてロシア領という理由で負担することはない。ロシアはかっての領土に内部干渉は行わない。ドイツとオーストリアはそこに住む住民と協議のうえ将来のステイタスを決定する。
第4条 全般的平和の達成後、ロシアは動員を解除する。ドイツは線の東側から撤退する。ロシアは可及的速やかにアナトリア東部から撤退しトルコに返還する。エルデハン、バツーミ、カルスから可及的速やかに撤退し、そしてその地域について国際的取り決めや内部の国家組織に干渉しない。そしてそこの住民に任せるものとするが、隣国とりわけトルコとの合意を必要とする。
第5条 ロシアは地帯なく動員解除を現在の政府によるものも含めて実施する。ロシアは軍艦について―略―
第6条 ロシアはウクライナ人民共和国と和平を取り結ぶ義務を負う。そして4国とその地域の平和条約を尊重する。ウクライナ領から遅滞なくロシア軍または赤衛軍を撤退させる。ロシアはウクライナ人民共和国の政府と公共組織にたいする扇動と宣伝を停止する。エストニアとリボニアについても同様に遅滞なくロシア軍および赤衛軍を撤退させる。エストニアの東部国境はナルワ川沿いとする。リボニアの東部国境は一般的にペイプス湖とプスコウ湖を交差させ、―略―
フィンランドとアアランド諸島からロシア軍および赤衛軍を遅滞なく撤退させ、またフィンランドの港湾からロシアの軍艦を退去させる。凍結により移動できない場合最低の乗員のみを留めるものとする。ロシアはフィンランドの政府および公共組織にたいする扇動宣伝を停止する。アアランド諸島の基地については速やかに破却する。これら諸島の非軍事的施設の建設とりわけ海洋案内施設についてはドイツ、フィンランド、スエーデン、ロシアの特別合意によるものとする。そしてドイツの希望であるがバルト海に面する他の国も本件について意見を表明しうることが了解された。
第7条 ペルシャとアフガニスタンは自由で独立国である事実に鑑み、条約当事国は両国の領土保全と経済的政治的独立を尊重する。
第8条 戦争捕虜は速やかに帰還させる。疑問点は第12条で定められる特別条約で決定される。
第9条 条約当事国は相互に戦争費用の請求権、例えば戦争の国家予算からの支出、戦争による損害の賠償、軍事領域での軍民による損害、徴発について放棄する。
第10条 外交の再開と領事館の設置を平和条約の批准後実施する。領事館の設置については相互主義の観点から別の合意を必要とする。
第11条 経済関係については付属2−5で―略―
第12条 公的なまた私的な法令関係の再興、捕虜と抑留された民間人も交換、拿捕された民間船の返還等はロシアと別に締結される条約によるが、全般的平和条約の基本部分と考えられ、後者の発効と同時に実施にうつされる。
第13条 この条約の解釈は―略―
第14条 現在の休戦条約はただちに批准されなくてはならない。批准文書はベルリンで交換される。ロシア政府は4国のうち1国の希望により、2週間以内に批准するものとする。それを除くほかは、この平和条約は批准の日をもって発効する。
この文書を証するあかしとして全権大使は自身でこの条約に署名した。1914年3月3日、ブレストリトウスクにおいて。
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