レーニン帝国主義論の批判


レーニンによれば、ドイツとイギリスの鉄鋼生産でイギリスに対してドイツが急速に追い上げ、1912年までに抜き去った。これが両国間の不均衡、すなわち鉄鋼生産ではドイツが上だが、植民地所有ではイギリスが上、を生じた。結果としてドイツはこの不均衡を是正するため戦争を欲した。

しかしドイツの誰が。民衆が鉄鋼生産にさほど興味をもつはずがない。恐らく当時のドイツ参謀本部も同様と思われる。ドイツ鉄鋼資本家は、植民地への輸出を念頭に生産設備を増加させたのか?

鉄鋼資本家は仮に操業率が落ちれば当時でもレイオフを考えたのではないか。政府または軍に戦争を薦めたことは記録にないし第一に相手にされないだろう。これは今でもかわりはない。

ドイツとイギリスの間に成長率の差があった(ドイツの方が高い)事はレーニンの言うとおりだが、これを戦争の原因とするには、あまりにも実証性がない。それに成長率が高い方が幸せで現状維持になるのではないか。

ドイツの輸出についてドイツの金融資本の影響がある国で急速に伸びていると強弁しているが、それら全部を合わせても、イギリス一国への輸出におよばない。そしてイギリスはドイツに対して最も断固とした敵としてあり続けた。

さらにハプスブルグ帝国の場合、オーストリアからボスニアへの輸出はどう考えたらよいのか。もちろん統計はないかもしれないが、輸出を目的にボスニアを併合したわけではあるまい。総じて輸出入を原因として国家の対立関係を説明する事は19世紀でも無理があるのではないか。

大国は常に発展途上国への輸出より大国間の方が多い。ただ戦前の日本が例外で、中国向け輸出が抜け出ていた。

英、仏に対して米、独、日の成長率が目覚しく、10年20年後にもこれら帝国主義列強の間の力関係は不変のままであり続けない、とレーニンは言う。

しかしこの5国は80年後でもやはりGNP総額では他国を圧倒しているのである。そして成長率はレーニンのいう傾向と大きく異なった。20世紀はこの五つの国を中心に回ったといって過言でない。この5国は、ロシアも含めて5国以外の1国にシングルハンドで戦争に敗北した事もない。GNPで後塵をはいすることも、なかった。

また一人当たりGNPでは格差がこの5国の中では100年で驚くほど縮小しているのだ。つまり一人当たりでは均衡に向かっているのだ。この事実だけでも資本主義諸国の不均衡発展が戦争の原因と言うのは無理がある。またGNP総額の差は主として人口の差によるところが大である。

ホブソンを論拠にして、貯蓄過剰国が資本のはけ口を求めて投資先として植民地の獲得に努めた。とレーニンはいう。これはとんでもない論旨である。

当時イギリスは貯蓄過剰でドイツは不足だった。ドイツの植民地はイギリスとは違っていたのか。この理屈は第1次大戦以降どうなのか。最大の貯蓄過剰のアメリカは最も植民地主義・帝国主義に反対ではなかったのではないか。

また関係をうまく説明していないが金融資本が他の産業を支配する結果について論及している。ヒルファーディングの影響と思われるが、この現象はドイツだけにみられるもので、他国ではない。株式の議決権行使が保護預かりに伴って銀行に移転する結果ぐらいの話ではないのか。

確かにホブソン−レーニンの論旨は、戦争の責任を資本家とくに銀行に転ずる点では分かりやすい。しかし実証性はゼロである。対外投資のうち金額で多額なものを占めるのはホブソン−レーニンのいう通り間接投資である。

間接投資は普通、銀行、生保、投資顧問会社の手でおこなわれる。レーニンが主たる興味のドイツでは生保、投資顧問の活躍はやっと最近(1980年代−日本より遅い)であるが。すると間接投資の中心は銀行となる。銀行の投資方針は常にリスク−カントリーリスクの分析と利回り、およびインデックス(各国GNP比率にもとづく)を考慮する。外交上の問題から政府の干渉を受けやすいが逆、政府に要求することはまずない。そんな事をすれば政府の干渉を招く状態となる。

政府の観点は常に安全保障で、一方銀行は利益(営利)目的なのである。勿論、政府の干渉には弱い。それでも銀行のお客は普通、国民である。政府にしても干渉して銀行に多くのリスクをとらせるのは、普通預金者保護で躊躇する。

レーニン初め、史的唯物論者は何とか戦争の理由を経済に求める。しかし第1次大戦の前ドイツの資本家で戦争をビジネスの拡大の手段として考えた者はいない。戦争などしなくてもドイツの産業は十分競争力があった。平和時ドイツ産業の競争力は伸長したのだ。これは第2次大戦後もあてはまる。第1次大戦は資本家が欲したのではない。限定戦争を除いて全面戦争は資本家も含めて誰も欲しなかったのだ。

スターリン時代の歴史学者のドイツ帝国主義への見解

第1次大戦は偶然で起きた。そしていずれの国民も自国の防衛のため、熱心に武器をとったのだ。皆戦争は短期で英雄的な決戦で勝利できると考えた。だから長期化したときの幻滅も大きかった。

この幻滅が戦争の中止をもとめ、ボルシェビキの成功をもたらしたのだ。ロシアはドイツに単独で勝てる自信はなかった。一方ドイツはあった。そこがドイツの社会主義者が蜂起に失敗した理由だ。ドイツ人は休戦後も敗戦を信じることできなかった。前線から戻った兵士は国内で革命を主張した人間こそが敗戦の原因と信じた。作戦に失敗した将軍・参謀将校は格好のスケープゴートを発見した。

階級対立の止揚とか史的弁証法は史実の裏づけを欠く。革命の成功・不成功自体が武力によって決定される。しかも武力の発揮は作戦の巧拙によるし、士気・兵力にも当然左右される。そしてここでも偶然が決定的なことは否定できない。そのなかで金銭的収入とか飢餓というのは要素にすぎない。そしてマルクス主義者には残念なことに階級間の争いよりも偶然に左右される大戦争の戦闘の結果の方が革命の成否に影響を与えるのだ。

また歴史の弁証法による理解を否定すると、普遍的な目標・全国民的な目標を掲げなければ、労働者革命とか農民革命というのは軍閥抗争と変わるところはない。せいぜい組織(党)がより効率的なだけだろう。

ロシア革命では1925年までに1900万人の亡命者を出し、一方で少なくとも1200万人が死亡した。これは第1次大戦の全戦死者を上回る。もちろんイデオロギーより飢餓で脱出を計る者が多かった。そして物流上の混乱とボルシェビキの食料徴発で飢餓がもたらされた。この事態にたいし西ヨーロッパでは封鎖を解き、食料支援をすべきだという声があがった。

英仏政府はさすがに帝政ロシア軍の将校については相応の応援をしたようである。唯一領土拡大的な夢を追っていた日本(これ以降顕在化するが、戦争方針が政争の道具として使われるという前近代的な色彩をもち、当時主導したのは陸軍長州閥「山縣−寺内−田中」)は、意図しないが亡命者にたいし極東口を解放するという便宜を提供した。

革命後、ソ連政府は混乱を反革命運動と干渉戦争によるとしたが、デマ宣伝である。少なくとも、極東(日本によるもの)を除き干渉戦争は1920年半ばで終了していた。反革命運動も中央アジアのイスラム教徒を除けば、1921年までには組織としての勢力はほぼなかった。ところが1922年から3年にかけてが飢餓の中心である。ロシア革命を賛美するには人口の5%以上が餓死することを容認する立場にたたねばならない。フランス大革命ではこんな事はなかった。そのうえロシアは帝政のときは一貫して食料の輸出国だった。

労働者革命の類が歴史を動かす原動力なのか、それとも特定グループの権力奪取のための宣伝なのか、ロシア革命は自明のこととして教えるのではないか。結局自由・平等・博愛など他人愛を追求せず、他階級の打倒など憎しみを前提にしたことが、悲惨な結果を招来したのだろう。ロシア革命は第1次大戦の結果であって原因ではない。

アメリカ政府(ウィルソン)は帝国主義をレーニンとは別に定義した。ロシア帝国・オーストリア=ハンガリー帝国・オスマン帝国が帝国であり、解体すべきと考えた。指導民族と帝国の組み合わせは悪の象徴に思えた。ドイツはこれら3国に追随して、帝国になりたがっていると見なした。またこれら3国はいずれも民主主義がないとして、民主国家の帝国主義に反対する戦争と位置づけた。

熱帯地方に殖民地をもつ帝国については、賛成はしないが孤立主義から不干渉という便宜的な態度をとった。また米西戦争の結果のフィリピン領有がネックになった。アメリカは日本もこの頃とくに朝鮮併合から帝国になったという認識をしだした。帝国は膨張主義になるというドグマ(少なくともオスマン帝国は膨張主義にみえないが)を併せ持つからアメリカの日本への敵意は深まった。また国号にエンパイアが含まれているのも印象を悪くしたに違いない。

全てはアメリカ人の君主制への偏見といってしまえば良いのだが、アメリカがGNP上最強国家であるのは変わらない。第1次大戦以前ですでにアメリカのGNPはイギリスとドイツを合わせたより大きかった。アメリカの向背を無視できない。またアメリカ人は帝国主義を領土拡大主義と単純に括っている傾向がみられる。それでもあのオーストリアでさえティサの建言によるとはいえ、領土拡大はしないとしたうえでセルビアに宣戦を布告している。威信の向上というのも領土拡大と同じだろうか。

威信の向上の方が領土拡大より危険な印象もある。2000年1月4日ルービン、アメリカ国務省スポークスマンは「アメリカは唯一歴史上帝国主義でない超大国だ」と胸をはったという。たしかに超大国ではないが他のG5諸国も既に領土拡大は断念している。もちろんこれは超大国となることを断念したことと関係がない。第1次大戦前、他国の見解を排し独自に外交政策を打てた「超大国」は、アメリカ・ロシア・イギリス・ドイツの4国だけだ。これが第1次大戦でアメリカ・日本・イギリス・ドイツの4国に変わった。そして第2次大戦後アメリカ・ソ連の2国だけとなった。それだけである。

イデオロギーとしてアメリカの帝国(主義)批判とレーニンの熱帯帝国主義批判はそれでも戦間期、ドイツと日本にたいしては両方とも有効にみえた時期があった。これが今尚帝国主義ですべてを片づける議論の始まりである。もともと両方とも史実を論拠にしていないのだが。また資本主義そのものが原因とする極論もあるが、資本をもとに工場で生産する方式は産業革命前から、例としては古代帝国にもある。産業革命以降の資本主義だとまた定義のすり替えをしても、セルビアとオーストリアの大半は産業革命以前だ。

未来がこうあるべきだとして過去を見るやり方は反省の余地があるのではないか。第2次大戦の前の日本でまた第1次大戦の前のイギリスでなぜ反戦運動が起きなかったか、と自答することは未来の決意を秘めて言うことが多い。だがそれで民衆運動家、女性運動家,組合運動指導者を眺めても彼らも戦争に期待したという事実しか出てこない。大戦争でも少数の政治家・外交官・軍人の単純な虚栄・失敗・誤算が直接原因となりうる。そして失敗を回避するにはやはり歴史を忠実に眺めるしかない。

                                   (別宮 暖朗)


Kiernan、V.G., European Empires from Conquest to Collapse 1815-1960,London,1982
MommsenW.J., Theories of Imperialism,(tr.) London,1980

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