ウィリーニッキー交換電報


ロシア皇帝ニコライ二世(ニッキー)とドイツ皇帝ウィルヘルム二世(ウィリー)は、いとこ同士ということも手伝いしばしば電報を深夜でも交わす仲だった。年齢がウィルヘルム二世のほうが年上で帝位についたのも先だったため、ややリードする立場だったようだ。しかし体制としてはロシアの方が皇帝に権限が集中していたのは明らかで、ニコライ二世の電報は臣下のチェックはないが、ウィルヘルム二世の方はあったようだ。

二人は開戦直前の緊迫したなか電報をやりとりしている。電報は1918年ニューヨークで出版され公開された。ソースはドイツ側からで英文で発表された。

これは1914年7月29日からの交換電報の全文である。

7月29日(午前1時)ツアーからカイザーへ
宮廷に戻られたときいて欣快に存じます。この重大な局面で、陛下の助力をお願いしたいのです。弱国に不名誉な宣戦布告がなされました。ロシアにおけるいきどおりは、極限に達しており、私も同感する次第です。まもなく私も圧力に屈し、戦争に導く極端な手段をとらざるを得ない予感がします。ヨーロッパ戦争のような悲劇を避けるためにも、我々の友情のもとで、貴国の同盟国が極端に走らないように陛下のやりうる事をして欲しいのです。
ニッキー

7月29日(午前1時45分)カイザーからツアーへ

セルビアにたいするオーストリアの行動が貴国において引き起こした印象は私も非常に懸念するところです。一方セルビア国内で行われてきた遠慮のない扇情的な宣伝はフェルディナンド大公への殺人という結果を招きました。自身の国王と王妃を暗殺したセルビア人の精神はいまだにあの国の主流なのです。汚らわしい殺人に関与したすべての人間は等しく罰せられねばならないという意見に我々もまたすべての国家元首も同意すると思います。この件で政治的な事象は関係することはできません。

一方私は陛下と陛下の政府が世論の流れに直面し困難な事態に陥っていることに理解する次第です。それゆえに長年の絆で結ばれた友情にもとづいて、私は貴国がオーストリアと了解に達すべく最大限の影響力を行使したいと思います。今後起きうる困難にうちかつべく私もまた陛下の助力を期待しています。
ウィリー

7月29日(午後6時30分)カイザーからツアーへ

電報を受取りました。私もまた陛下の平和を保たねばならないという考えに組するものです。しかし前の電報で述べたように、セルビアにたいするオーストリアの行動を不名誉と私は考えません。オーストリアは経験からセルビアが紙にかいた約束を信用できないとわかっているのでしょう。私もオーストリアの行動がセルビアの約束を現実のものとするための保証行為でなければならない、という理解です。

私の考えはオーストリアの閣議のセルビアへの領土的要求は欲しないという覚え書きに基づいたものです。私はそれゆえにロシアは、オーストリア−セルビア紛争がいまだ経験したことがない恐ろしいヨーロッパ戦争に発展することを避けるためにも、傍観者でいる可能性を示唆したいのです。私は貴国政府とウィーンが直接理解に達することが可能であるし望ましいことと思います。もちろんロシアの軍事的措置はオーストリアからみて災苦であるとともに仲介者としての私の立場を悪化させるのです。そしてそれは陛下の要請に従がい、友情に基づいてわたしが受け入れたものです。
ウィリー

7月29日(午後8時20分)ツアーからカイザーへ
好意と友情にみちた電報に感謝します。ところが本日貴国の大使より当方の外相に伝えられた公式のメッセージはたいへんに違った調子が読み取れます。この違いを説明いたただけると有り難いのですが。またオーストリア−セルビア問題はハーグの司法裁定に預けたらどうでしょうか。叡智と友情に感謝します。
ニッキー

7月30日(午前1時20分)ツアーからカイザーへ
心からすばやい返事に感謝します。今夕トティシェフに指示書を送らせました。実行にうつされた軍事手段は5日前にオーストリアへの対抗措置として決められたものです。この手段が私の感謝している陛下の仲介者としての役割の障害にならないことを心から希望します。我々は相互理解のために陛下の強いオーストリアへの圧力を必要としているのです。
ニッキー

7月30日(午前1時20分)カイザーからツアーへ

返電に感謝します。当方の大使の言葉が私の電報の調子と矛盾するというのは問題にもなりません。ポウタリス伯爵は動員によってもたらされる危険で重大な結果について貴国政府に注意を喚起したのです。わたしも前の電報で同じことを伝えたかったのです。

オーストリアはセルビアとセルビア軍の部分にむけて動員したにすぎません。ロシアがオーストリアにむけて動員したことが真実だとすると、依頼をうけた私の仲介者としての立場は完全にだめになったとはいわないまでも阻害されたものとなるでしょう。決断の重要性は陛下の双肩にあるとともに戦争と平和の責任も負わねばまりません。
ウィリー

7月31日カイザーからツアーへ

陛下の友情と要求にもとづき開始された私の貴国とオーストリアとの間の仲介が、進行している途中でロシア軍は私の同盟国のオーストリアへの動員に踏み切りました。それゆえに私の仲介の役割はほとんど失敗に終わりました。

それにもかかわらずその役割は続けたいと思います。ところで今しがた東部国境で戦争への真剣な準備が進行中であるとの知らせを受取りました。帝国の安全保障のため私も予備的な軍事措置に入らざるをえません。世界平和を維持するため措置はなるべく限定的なものに止めたいと思います。文明世界を脅かしている災害にたいする責任はいまだ当方にあるとは思いません。この瞬間でもそれを避ける権限は陛下にあるのです。私の仲介の結果を待つ間、誰もロシアの名誉や力を脅かそうとは思いません。陛下と陛下の帝国にたいする友情は祖父の死の床で私に伝えられたものであり、神聖なものです。とくに日露戦争で陛下の帝国が極めて困難なときでも私は心からロシアを支持しました。

もしロシアがドイツとオーストリアを脅かすに足る軍事的手段を停止すれば、ヨーロッパの平和は陛下によって維持されたことになるでしょう。
ウィリー

7月31日ツアーからカイザーへ(直前の電報とは行き違いとなっているのではないか)
全てのことが平和的に解決する唯一の希望である、陛下の仲裁活動の感謝します。オーストリアの動員によって義務的に開始された軍事的準備を停止することは技術的に不可能です。我々はそれでも戦争を欲するのとはほど遠い所にあります。セルビア問題にたいするオーストリアとの交渉が継続している間は私の軍隊はなんら挑発的な行動はとらないでしょう。私はこの事を陛下に厳粛に誓います。私は神の御心に全幅の信頼を寄せるとともに、ヨーロッパの平和と繁栄のためにウィーンで行われている陛下の仲裁が成功することを希望します。
ニッキー

8月1日ツアーからカイザーへ
電報を受取りました。陛下が義務上動員せざるを得ないことを理解しました。しかし私が陛下にしたと同様の保証を得たいのです。これらの手段が戦争を意味しないことそして平和と両国の利益のために交渉を継続することを希望します。神の助力を得て流血の惨事を避けるため長年の友情が成功することを確信します。心より返電をお待ちします。
ニッキー

8月1日カイザーからツアーへ

電報に感謝します。昨日戦争を回避する唯一の方法を貴国政府に指摘しました。本日の正午が期限にも拘わらず、まだ貴国より私の大使への回答が私のところに来ていません。私はそれゆえにに軍隊を動員せざるを得なくなりました。

終わりのない惨事を避ける唯一の方法は貴国政府による速やかな肯定的な回答です。この回答を受取らない限り、陛下の電報にある件については議論に入れません。実際のところ陛下に国境をいかなる形でも越えないこと命令することを要求するものです。
ウィリー

これで終わり第1次大戦が開始され、事実上20世紀が開幕した。しかもこの結末は全人類に及びそしてその影は現在でもいたる所に残っている。この電文中次の点は簡単に理解できる。

カイザー(ウィルヘルム二世)の電文は長く、ツアー(ニコライ二世)のは短い。カイザーの趣旨はそれなりに一貫しているがツアーのは思い付きに満ちている。ハーグの仲裁裁判への預託はその一例だろう。これは自身でハーグ平和会議を主唱したことがあるためだろうか。

カイザーは動員を取り消すことができる戦争行為と考えていた。ツアーは取り消すことのできない外交行為と考えていた。これはとんでもない相互誤解である。そしてこの誤解は両皇帝だけでなく、政府レベルでも共有されていたのではないか。

また同盟国との関係でカイザーはオーストリアへの無条件の軍事的関与を承諾していた。一方ロシアはフランスがドイツから攻撃された際は支援に応じることを決めていた。これはフランスがそうでないため片務的だが、地勢的にロシアは遠方の日本以外後ろに支援国がなく、フランスはイギリスがあるためだろう。すなわちフランスがドイツに打倒されるとロシアはあとがない。

双方とも相手方のことをよく承知していないことは文面から明らかだろう。カイザーがすでに7月5日オーストリアに白地小切手を渡していることはを知れば、ツアーが仲介を積極的に依頼することもない。最も取り消し可能であれば別だが。またロシアとオーストリアが君主同士直接のパイプをもっていないことに驚かされる。

ロシアとドイツ・オーストリアとは実は直接的で深刻な対立はない。ドイツの東部国境はポーランド人がいたがドイツを支持していた。ロシアとオーストリアの国境地帯は慢性的な独立運動に悩まされていた。その点でむしろ両国は相身互いだった。

プロテスタントと異なりカトリックとギリシャ正教は改宗を認めないため、ロマノフ、ハプスブルグ両家は婚姻関係がなかった。しかしツアーの仲介の依頼がほぼカイザーに限られたというのは理解しにくい。結局、20世紀で中世的な色彩を残した二つの帝政に無理があったのか。しかし幾多の改革の機会をニコライ二世自ら逸しているのも事実だ。

ツアーの電報には何か孤独で良質のアドバイスが欠落している印象がある。反面、カイザーの電報には意識していない、プロイセン的修辞が感じられる。すなわち弱みは絶対に出さず常に見下ろした姿勢である。

この他、いくつか不思議な点がある。たとえばカイザーが最初の電報でセルビアのかつての大逆事件とサラェボ事件を結び付けていることだ。あるいはドイツ政府はブラックハンドについて何か知っていたのだろうか。


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