トルデシラス条約は新世界の分割をめぐってスペインとポルトガルの間で締結された条約である。15世紀初頭からポルトガルはアフリカ大陸を一周してインド及び中国に到達するルートの開拓に努めていた。目的は香料貿易などからアラブ商人を排除し、多額な利益を貪ろうとしたところにあった。
16世紀後半に作られたトルデシラス条約線を示す地図
一方コロンブスの西インド諸島の到達によりスペインは、アフリカ一周ではなく大西洋を西航してインドなどへ到達できるものと確信した。ただ、当時正確な時計がなく、南北はともかく東経や西経を航海中に認識することは困難だった。このため西航することによって陸地を発見したことは、そこが当時の地理概念からインドに違いないと思わせた。スペインはポルトガルと異なり、貿易で利益をあげる(実際は強盗行為であったが)ことよりも略奪によって原住民から動産を奪うことに興味を示していた。
始めにイニシアチブをとったのはローマ法王アレクサンダーY世で1493年5月4日、両国の対立を避けるため、ベルデ岬諸島から100リーグ(480キロ)の南北線で東をポルトガルをとり、西をスペインがとる裁定案を出した。しかしこの案にポルトガルは新世界の陸地が含まれないことに不満で再交渉を行った。
1494年6月、スペインのトルデシラスという町で会議がもたれ両国は合意した。新しい南北線はベルデ岬諸島から370リーグと定められた。
この当時南米大陸の地形は明らかではなく、どうやら土地が存在するという程度の認識しか両国ともなかった。スペインも中米に興味があったにしても、南米には及ばなかった。16世紀に探検が進みブラジルの地形が判明してもスペインはとりたててこの条約に不満を示していない。一方ポルトガルは条約に従って、ブラジルに植民を開始したがそこには熱帯雨林の材木や小動物以外換金性のあるものは存在せず、むしろ南下し中緯度の農業適地を探し始めた。この動きにたいしてもスペインはチェックを入れることはなかった。むしろギアナ方面で活発だったオランダや英仏などの新興勢力にたいしバランスになると考えたのだろう。
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