第2次大戦の開始前後の戦略と外交


第2次大戦の開戦原因は、ドイツのポーランドへの侵攻により、英仏が集団安全保障を発動しドイツに宣戦を布告したものだとされる。事実はそれに違いない。

ただ留意しなければならない事実が三つある。

  • ポーランドはヒトラーとのダンチッヒと回廊をめぐる交渉を英仏の慫慂にもかかわらず拒絶していた。
  • ヒトラーはポーランド侵攻の結果、英仏が参戦すると予想していなかった。
  • ポーランド侵攻目的は、ダンチッヒと回廊の占拠だけではなくポーランドの消滅だった。

AJPテーラーは、ヒトラーのポーランド侵攻目的が英仏を巻き込む世界戦争の開始ではなく当面の問題ダンチッヒ・回廊問題の解決にあったとして、むしろ英仏の外交の失敗とりわけポーランドの態度を修正できなかったことが、開戦につながったと主張した。

これは歴史学会に大きなセンセーションを巻き起こした。

だがAJPテーラーが知らなかった事実がある。ヒトラーとスターリンはモロトフ・リッペントロップ協定でポーランドの消滅を決定していた。テーラーの論文は1992年のソ連崩壊の以前であったためエリツィン政権による協定公表以前で認識することができなかった。ただ、当初からヒトラーはポーランドの部分占領でなく、全面的な崩壊を目論んだことは、現実に行われた作戦から明らかであり、AJPテーラーは想像すべき事だったのだろう。

すると、ポーランドの強硬姿勢は正しく、英仏のそれに応じた集団安全保障の発動も正しかったことになる。ただD計画によれば実際に英仏の予定した決戦方面はベルギーであり、これに完敗したこともまた事実である。その敗北に至る経緯もまた不思議な点がある。

  • 英仏の作戦計画がD計画だとして、もしドイツがイニシアチブを取らなかったらばどうするのか?つまりポーランドを滅亡するまで放置し、ドイツがイニシアチブを取ることがないとすれば事態の収拾を英仏はどう予想したのか?
  • その後、ソ連が参戦しポーランドの東半分を占拠した。ポーランドへとの攻守同盟履行が宣戦布告の理由であれば、英仏はソ連にも宣戦布告する必要があるのではないか。これは単にドイツとソ連二つを敵に回しても勝てないとの理由だけか?そしてフランスはその後のソ連のフィンランド侵攻の時、ソ連に宣戦布告するかまたはフィンランドの義勇軍を派遣しようとし、イギリスの拒絶に会っている。
  • フランスはイギリスのドイツ領内爆撃提案を拒否している。これは報復を恐れるという表面上の理由によるものだけだろうか。そしてフランスは艦隊を地中海に集中しドイツとの交戦を避けている。

もちろん当時の人々はある決断の結果を知らない。ソ連のポーランドやフィンランドへの侵攻は英独仏ともに事前に予想できなかった。そしてヒトラーの大胆なフランス戦開始のための「黄色計画」も予想できなかった。

以下は仮説である。

フランスはドイツが独仏戦のイニシアチブを取らなければ、英仏が中途でヒトラーと和平を締結しドイツをソ連に向かわせることを考えたのではないか。

ヒトラーと異なり、ドイツ参謀本部はフランス戦に消極的だった。しかし1941年6月の独ソ戦には積極的だった。もし英仏とそのような合意が可能とあれば、フランスの思惑通りソ連に向かった公算は否定できない。

では英仏とドイツの合意は可能だったのだろうか?

やはり不可能だろう。ヒトラーはポーランド終了と同時にフランスへの侵攻計画の策定を要求、内容について不同意だったり、天候により順延していたに過ぎない。この時点でヒトラーから、英仏へ交渉を持ち込むことは考えられなかった。そして英仏から持ち込んでも、ヒトラーはむしろ弱みと受け取り、ポーランドの現状を認めない限り受け付けなかっただろう。

つまり、ヒトラーの英仏に対する強気はモロトフ=リッペントロップ協定の成立にあり、英仏が参戦することがない、もそこから来ている。つまり独ソが戦時同盟を締結した以上、ヒトラーがなんらかの武力行使に出れば英仏には戦う道しかない。さもなければドイツの中欧支配=ドイツのヨーロッパにおける覇権を認めることで、屈服の道に他ならない。AJPテーラーはここでは誤っていた。

当然、現代においても情況に変化はなく、そのようなケースが発生すれば大戦争を覚悟せねばならない。ドイツとソ連の軍事同盟、もしくは日本と中国の軍事同盟は世界を根本的に変える可能性があることを真剣に考える必要がある。


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