再保障条約
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1870年、普仏戦争の終了とともに、ビスマルクは新たな国際的安全保障の枠組みを狙い1872年三帝同盟〈DreiKeiserBund〉を締結した。3人の皇帝が統治する、独墺露三国間のものだったので、この名前が残る。

条約の内容は、この三国のいずれかが他の第四国(大国を標準においた。すなわちイギリスまたはフランス)に攻撃された場合、いずれの国も好意的中立を保つというものである。実際に戦争が起きる可能性はイギリスとロシアの間だけであり、その場合、海軍の戦いとなることが予想されたから、小規模な艦隊しかもたない独墺は好意的中立とならざるをえないのは自明である。

実質的にはトルコと同盟した英仏が共同でロシアに攻撃をかける、すなわちクリミア戦争再燃の場合のロシアの安全保障が主眼となる。ただ、この裏返しで、ロシアとフランスが同盟する可能性(高いとは考えられていなかった)も防げることになる。

そして、この同盟を背景としてロシアはコーカサスとバルカンで冒険的な外交方針をとった。すなわち、コーカサスではイスラム教徒にたいし民族浄化をかけるとともに、セルビアに義勇軍をおくった。独墺はこれに反対できない。ところが、トルコがコーカサスからの難民をブルガリアに入れる政策をとると、原住民と難民が対立し暴動に発展した。

ロシアは前年からの、セルビア=トルコ戦争における義勇軍の敗北に業を煮やし、キリスト教徒の虐殺だと、いささか筋の異なる批判を展開し、英仏世論を味方につけ、強引にトルコとの戦争にもちこんだ。

露土戦争

だが、戦争がロシアの辛勝に終わり、サンステファノ条約をトルコに押し付けると、英仏独(墺)は共同して、ロシア利得を失わせることに動いた。そしてビスマルクが主宰したベルリン会議により、ロシアの領土的成果が失われると、ロシアの怒りの矛先は、ドイツに向けられた。

外交上、仲裁の結果、一方の怒りが仲介人に向けられることはよくあることで、現在アメリカはパレスチナ紛争を仲介したことにより、アラブの怒りを買っている。

ビスマルクはロシアの敵意を感じ、また三帝同盟が形骸化したと認識し、孤立を恐れ、オーストリアとの同盟を新たに締結した。ビスマルクは独墺同盟を攻守同盟ではなく、本来的に防衛的性格のものとみなした。従って、オーストリアがロシアを攻撃する事態を防ぐ意味もあった。

独墺同盟

ところが、9年後の1887年4月、アレクサンダーV世は三帝同盟の更新を拒絶した。これの背景には露土戦争の結果、独立を果たしたブルガリア王家の反露傾向に苛立ちを深めたことがある。ブルガリアの東ルメリアの併合に反対(ということはオスマン帝国領として残存)し、その公然たるコンスタンチノープル領有の主張に脅威を感じた。

一方、ドイツは具体的なバルカン政策をもたないと同時に、ドイツ人は対東ヨーロッパ諸国対策という意味で根本のところを誤解していた。ドイツにとっての東の御しやすい仇敵、ポーランドは、決してロシア人と組むことはない。ところが、セルビア、ルーマニア、ブルガリアなど、オスマン帝国を敵とした諸国は、場合によってはロシアと手を組むことがある。

ドイツの外交政策は、バルカン半島においてオーストリアとロシアの対立は仲裁できるという確信にもとづいていた。これは実は誤りではない。ところがロシアの支援が得られるとセルビア人が思った場合、オーストリアに挑戦する可能性があることを、どうしても予想することができなかった。

ビスマルクはロシアがブルガリア問題にたいし、ドイツの支援を期待してきたことを機に、「再保障条約」を提案した。

1887年6月、条約は締結された。

第一条
一方が第三の列強と戦争状態となった場合、他方は好意的中立を保ち、紛争の局地化に努力する。この条項は両国による先制攻撃により引き起こされた、オーストリアまたはフランスへの戦争は適用にならない。

第二条
ドイツはバルカン半島において歴史的に獲得されたロシアの権利について承認する。とりわけ、ブルガリアと東ルメリアにおける優勢で決定的な影響力の正当性について承認する。両宮廷は事前の相互承認なくしてバルカン半島の領土的現状を修正しないことを確約する。そしてそのような場合が起きたとき、相互了解なくして現状を変更することに反対し、現状を乱すいかなる企てにも反対する。

第三条
両宮廷はベルリン会議の7月12日の会合(プロトコル19)におけるロシア全権の宣言により要約され、条約と国際法に基礎をおく、ダーダネルス・ボスフォラス海峡の閉鎖についての原則を、国際的に、ヨーロッパ各国を拘束するものとして、承認する。

両者はトルコが、ある国の利益のために、その海峡領土を提供し、軍事演習だとして交戦国に手を貸し、この規則に例外をつくることがないように、注意を払う。もし違反するか、あきらかに違反すると見込まれた場合、両宮廷はトルコに被侵害国と戦闘状態に入ること、ベルリン条約における現状についてトルコの利益が喪失されることを惹起すると通知するものとする。

第四条
この条約の有効期限は三年とし、批准の日から効力が発生するものとする。

第五条
両国はこの条約と付属議定書の内容と存在について秘密にすると約束する。

第六条
この条約の批准後、批准文書はベルリンにて二週間以内に交換される。

ー付属議定書ー
第二条と第三条を完璧なものとするため両宮廷は次の諸点について合意した。

1.ドイツは過去と同様にブルガリアの正当な合法的な政府を再度樹立するために、ロシアに助力する。

2.ロシア皇帝陛下がロシアの利益を擁護するため、黒海入り口の防衛を決意したとき、ドイツは好意的中立を約束し、陛下が帝国の重要地点をを防衛するために必要だとする措置について、道徳的また外交的支援を与える。

3.この付属議定書は本秘密条約と不可分であり、同様の効力と有効性をもつ。

この条約を一見してわかるように、ドイツの方に義務が多い。これはビスマルクが独墺同盟と矛盾しないように配慮したためだろう。

ビスマルクにとりバルカン半島は「ポンメルン擲弾兵の骨一つ」にも値しないものだった。問題はこれに国民的合意がとれていたかである。そのあとドイツは世界政策(Weltpolitik>に乗り出し、アフリカ植民地や建艦政策に熱中する。

しかし、世界政策はバルカン政策と同じく、「ポンメルン擲弾兵の骨一つ」に値しないものではなかったか。

この同盟は、条約文に触れられていないことが目標だった。つまり、露仏同盟を阻止することが目標だった。にもかかわらず、ビスマルクが失脚した直後の1890年、条約の期限到来とともにドイツからこの条約を破棄した。


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