ドイツ大本営日誌(10月1日)

テール大佐(von Taer)によって書かれたドイツ大本営日誌10月1日のくだりである。

陰惨であり絶望的だ。我々が集まったときルーデンドルフは立ち上がった。顔は青ざめ深い憂慮に包まれていた。しかし顔を上にあげたままだった。本当に美しいドイツの英雄的人物のようにみえた。私はハーゲンの槍に背中をうたれて死んだジークフリートを思わずにいられなかった。

ルーデンドルフは概略次のように述べた。“軍事情勢は非常に深刻だと言わざるをえない。今かまたはいつか必ず西部戦線が破られる時が来よう。これを皇帝陛下に報告したところだ。初めて皇帝と首相から大本営に質問が与えられた。未だ戦うことができる将校と軍は存在しないのかと。私は大本営もドイツ軍も終わりになったと答えた。もはやこの戦争に勝利することはできない。むしろ避けることが出来ない決定的な敗北が待っている。ブルガリアはすでに存在しない。オーストリアとトルコもすでに力は尽き、早晩屈服することになろう。わが軍は不幸なことにスパルタクス=社会主義的毒に汚染されている。そして兵士を頼りにすることができない。”

8月8日から情勢は急速に悪化していた。結果としていくつかの部隊はあまりにも信頼性を欠くため前線から引き抜かねばならなくなっていた。これらの部隊は新着の部隊に「スト破り。もう戦うのをやめろ」と中傷した。

ルーデンドルフは語った。“信頼できない師団を作戦に組み込むことはできない。”

そして続けた。“近い将来、敵が新着のアメリカ軍の助力を得て大勝利し大突破することは目にみえている。結果としてわが西部軍は最後の拠点も失い壊走状態となりライン川を越えて逃げ革命を本国に持ち込むことになる。”“この破局はなんとしても食い止めねばならない。そして前述の事情から攻撃を受けていることに耐えることができない。”“それゆえに大本営は皇帝陛下と首相に休戦をもたらす提案をウィルソン大統領に遅滞なく持ち込まむことを要求した。それは14ヶ条提案を受け入れるに他ならない。”“部隊から最大限のことを要求することを避けているわけではない。しかしながら戦争の継続が無駄だとわかった今、最後まで戦う勇気がある忠実な人々に不必要な犠牲を強いることがないように速やか終息させるべきだと考えている。”

ルーデンドルフとヒンデンブルグ元帥がこのことを陛下と首相に報告した時は酷な瞬間であったに違いない。首相ハートリング侯はすぐさま辞表を提出した。名誉ある数年を過ごしたあと老人にとり休戦を乞う不名誉に耐えられなかったのだろう。陛下は辞表を受理した。

ルーデンドルフ閣下は付け加えた。“今のところ首相不在だ。後任は未定だ。しかし私は陛下に現在のような情況に立ち入らせたサークルの人間を閣内に招くべきだと陛下に申し上げた。彼らこそが平和の提案をするのに適任だ。彼らがベッドを作ったのだからそこに寝るべきだ。”

これらの言葉を聞いた人々の反応は描写するのも愚かである。ルーデンドルフが言葉をつなぐに連れ静かにすすり泣くかうめき声をあげた。多くの、いや全員の頬から涙が落ちた。私はアイゼンハルト将軍の隣に立っていた。我々は本能的に互いの手を握りしめた。

ルーデンドルフは最後の言葉を終えたあと控え室に入った。私は報告する要件があったのであとを追い、両手で彼の右手を握り締めた。この情況では他にやり様がなかった。そして言った。“閣下、これは本当ですか?これで最後ですか?実際に起きているのか夢をみているのかわかりません。本当に恐ろしいことです。何が起きているのでしょうか?”

ルーデンドルフは落ち着いた様子で優しく、微笑みながら言った。

“残念ながら、言った通りだ。私には他に出口があると思えない。”

この日誌を疑う理由はないので、事実なのだろう。第一次大戦が終結に向かい動き出す瞬間である。参謀将校がどのようなことで国家の岐路を判断するのかよく現れている。決して国家の重要なことに参画させてはならない人々だと容易に判断できるだろう。

この中でルーデンドルフはスパルタクス団=社会主義者に敗北原因の焦点をあてている。ただドイツの1918年1月以来のストライキは「オプロイテ」が指導したものでスパルタクス団ではない。この時スパルタクスの残された指導者、ローザ・ルクセンブルグなどは「スパルタクス書簡」というビラを少数の人々に配布しているだけだった。このようなものが大本営に届くとは思われない。また内容も軍事情報を欠いているため適切ではなく、ルーデンドルフが相手にするものとは思えない。この土壇場にスパルタクスを挙げるのは奇怪だが、レーニンとの関係からなにかもたらされたのかもしれない。

スパルタクス書簡(1918年9月)

この中に登場するルーデンドルフをカリカチュアするのは容易い。ただ西部戦線には未だこの大戦最大の兵力、両軍あわせて650万人が対峙していた。このような時、軍事指導者として平静な神経でいることは難しい。まだ合議のうえでの指導者であったり、政治家や君主に任命された官僚であれば責任を一身に背負うことがなく耐えることはできるのかもしれない。ルーデンドルフはこの時軍事独裁の首領だった。

戦間期日本で売られたヒンデンブルグとルーデンドルフを描いた肖像画
軍事指導者の絵はワイマール期ドイツで非常によく売れた。ある種の古い時代への郷愁と思われるが連合国への復讐心もあったのだろう。日本ではこの種の絵は軍人の間ではなくマスコミにもてはやされた。

ルーデンドルフは一世代前の騎兵を中心とした機動戦の時代であれば優れた軍事指導者であったろう。しかし塹壕で対峙することに慣れていたとはいえない。ドイツ軍と同じように、連合軍もライン川まで達するには鉄道に乗らず徒歩で進むしかない。この連合軍の前進の間に戦線整理の方策がなかったのかという疑問は残る。この種の戦争の終盤では指導者は自軍のあまりの被害の大きさにどうしてもうろたえてしまう。ルーデンドルフも例外ではない。

一方、ルーデンドルフは政治(この場合外交)の才は全くない。ブルガリア、オーストリア、トルコの疲弊は自らの誤った軍事支援の方策によるものだと理解できていない。もっとも、ルーデンドルフはその死にいたるまでドイツの不幸はすべて他国のせい、ドイツ内政の失敗は社会主義者とユダヤ人のせいにしているから、そういった性格なのだろう。


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