マルティニ・ヘンリー銃
マルティニ・ヘンリー銃はイギリス陸軍によりスナイドル銃の後継として1871年制式化された。
この銃は失敗作である。にもかかわらず30年間使用された。この間イギリス軍はスーダンやアフガニスタンで手ひどい敗戦を何度も余儀なくされた。大戦争がなかったことはイギリスにとり好運なことだった。理由は単発式であるためではない。下の写真(MarkT)でみられる通り、レバー式のためである。レバー式は騎兵には問題がないが歩兵には致命的な問題を生じうる。すなち伏射の射撃姿勢をとったとき銃をあげるか横にせねばならない。これでは敵に位置を知らせてしまう。
更に機構を埋め込み式としたため、操作に習熟しない兵士はしばしば射撃中に親指と人差し指の間を金属部分に接触させ火傷もしくは暴発を招いた。実戦では酷暑のなか100発以上連射することが発生するためである。軍用銃とスポーツライフルは根本的に異なる。量産され長期間使用されたことが良い銃の証明である。イギリス軍はこれに懲り中世からのイギリス銃の伝統、全銃身に木を被せる仕様に、リー・エンフィールドライフルでは戻ることになる。
そのうえ、レバーを銃身と並行に引く動作は演習時は簡単だが実戦では簡単ではない。このため多くの兵士がジャムをひき起こし、次の弾を装填できなかった。
この銃の特徴は、撃鉄埋め込み式・自動撃鉄操作・レバー操作であり自動化され速射性能が多少向上した以外メリットはない。典型的な演習場における観戦子の作品である。
撃鉄埋め込みはスイス人のマルティニ(Friederich von Martini )によって、銃腔の施条方法はスコットランド人のヘンリー(Alexander
Henry)によって発明された。マルティニの発明の骨子は撃鉄操作を内部のバネ仕掛けで行うことだった。そして施条方法はマークW以降、メトフォード技師がエンフィールド工廠で発明したのものに変えられた。このためマークW以降はマルティニ・エンフィールドまたはマルティニ・メトフォードと呼ばれた。
このマークW以降は他陸軍国の制式銃になんとか比肩できる水準となった。理由は口径を小さくし0.303インチに統一したことである。この口径をイギリス陸軍は1952年まで維持することになる。あわせて1888年弾倉つきのものも工夫された。しかしそれには遊底が必要でリー・エンフィールドライフルの登場により一挙改善が図られることになった。
またこの形式の銃に相当する日本の軍用小銃は1880年に採用された村田銃である。マルティニ・ヘンリーよりわずかに遅れたが、はるかに出来栄えの良い銃でボルト式を採用した。機構は当時の工作水準にもかかわららず、非常に単純・頑健にできておりジャムやまた低温・高温にもよく耐えた。発案者の村田経芳はフランスに留学しダラー銃やシャスポー銃に改良を加えたとされる。しかしこれらの銃は撃針により発火させる方式であったり、実包の装填方法がチューブ方式であったりして、設計機能はともかく実戦での耐久力や運用に耐えることができなかったとされる。この批判はあるいは普仏戦争の結果論にすぎないかもしれない。しかし村田銃は当時の欧州の銃の欠点をよく克服している。
これは近代的な小銃の導入がそれより20年前であることを考えれば驚異的な事態である。また実包も含めて国産化したことも評価されねばならない。村田銃の欠陥は口径が11ミリとマルティニ・ヘンリーのマークV(0.45インチ)までとほぼ同じなことで命中率に問題を残した。
そして1889年には有坂成章がボルトアクション式の30年式歩兵銃を発明した。この銃はゲベール88(Gewehr1888またはGew88、Gewehrはドイツ語で小銃の意味)もしくは1888モーゼル(1888Mauser)の内部機構を模しているが、最先端のものでフランス・イギリス・ドイツを除く各国よりも制式化は早い。そしてゲベール88は第1次大戦でも使用された。つまり小銃の究極版である。おそらくサンプルはすぐさま導入できたと思われるが口径を6.5ミリにするなど先進的な対策も講じている。小口径のボルト・アクションライフルは1886年制定のフランスのレーベル(8ミリ)が最も早いが、有坂はそれやアメリカのスポーツライフルなどをよく研究し腹案を温めていたのだろう。
つまりこの銃は世界の最先端に達しているか、やや進んでおり当時の日本人の小銃にかけた情熱に驚かされる。また小口径とした理由が日本人が体格が劣っていたとする説があるが俗説にすぎない。当時の日本人は現在ほどヨーロッパ人と体格に差があったわけではない。すなわち当時のヨーロッパ人は栄養などの点で格別に優れていたわけではなく体格の飛躍的向上は第2次大戦後顕著となった。そして日本が選抜徴兵制であるのに対し、ヨーロッパ陸軍国は全員徴兵制であり、平均をとれば日本人が小銃の反動に弱かったとするのは理由がない。つまり有坂は小口径銃の有利さを見抜いたうえで決定したと考えられる。
当時のヨーロッパ各国は実包の小型化に自信をもてなかったため、小口径化が難しかった。
軍用小銃の開発には単なる機構上の設計だけではなく、厳しい材質検査・耐久検査・コスト・量産可能性・他国品との比較が必要でそもそも一九世紀で独自小銃を制式化できた国は7ヶ国に過ぎないと思われる。
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