国際連盟が第1次大戦後発足した。これはウィルソンの14ヶ条提案に従いベルサイユ条約の第1章に掲げられ、条約の発効とともに設立された。しかし、ウィルソンが国際連盟の主導者だとしても、ウィルソンがその考え方を発明したわけではない。
国際連盟参加国
国際調停機関
国際連盟の性格だが、この機構は国際(集団)安全保障機関(NATOのようなもの)ではなく国際調停機関であるにすぎない。そして現在の国際連合も国際調停機関であるにすぎず、たとえ国連軍の規定があるにせよ、その性格に変化はない。また、国際連合が強制力をもった結果、平和の維持に成功したとみなすのも誤りである。事実は戦間期国家間の戦争は激減したが、第二次大戦後国家間の戦争は著増した。両者においてメンバーの網羅性以外、大差はないのが実態である。
国際連盟憲章
そして歴史上、国際調停機関は、一九世紀のヨーロッパにおいてすでに存在していた。黙示的にはウィーン会議以降「ヨーロッパ・コンサート」(協調するヨーロッパ)として成立した、紛争を仲裁や話し合いで解決しようというのが、第一歩だった。そして国際法の整備が話し合われ海上交通の安全から陸戦規定などの人道保護規定などに進んだ。そしてクライマックスをロシア皇帝の主唱による第2回ハーグ平和会議で迎えた。この平和会議はヨーロッパ各国だけでなく他の地域の国が招かれ、既に日本とアメリカがヨーロッパ6大国(英仏独露墺伊)と並び8大国として扱われていた。

ジュネーブにあった国際連盟本部“パレドナツィオーン”
そして国際連盟は、ハーグ会議で設立された(ハーグ)国際司法裁判所や万国郵便連合、国際赤十字などに基盤を置いておりその継承性は明らかである。また、戦争を防止するための多角的外交はロンドンにおいてイギリス外相グレイが主宰して各国大使を招請することにより円滑に行なわれていた。このイギリスの調停外交により1879年のベルリン会議以降、ヨーロッパの大国が関係する戦いはヨーロッパでは第一次大戦勃発まで全く発生しなかった。
また、国際連盟がアメリカ不参加により機能不全に陥ったことは明らかだが、他にもドイツ・ソ連が当初参加しなかった。これでは大国間の調停外交の実質は発生しない。つまり、敵味方陣営全てが参加したことがかつてのヨーロッパの調和(ヨーロッパ・コンサート)であり、そうでなければ被告のいない裁判となり道徳的にも効力が疑わしくなる。また戦勝国だけが集ったことは、国際連盟がいわば国際(集団)安全保障機関となったのではないか、と疑念を生じさせた。
アメリカ議会で行なわれた論争は実はそれが中心である。
国際連盟をめぐるアメリカ国内論争
国際連盟の歴史(満州事変まで)
国際連盟の歴史はそのままヨーロッパにおける戦間期の武力紛争の歴史に他ならない。そして第一次大戦以前、すなわち一九世紀のヨーロッパは5大国が君臨することにより平和が維持されていた。ところが第二次大戦後、オーストリア、ロシア、ドイツが調停者としての大国から落ち、英仏のみが、その地位を継承した。
国際連盟の常任理事国として他にイタリーと日本があったが、イタリーはフィウメ問題を抱えており、日本はヨーロッパの事件に介入する意思がなかった。そしてアメリカは孤立主義をとった。そして歴史としては1930年の満州事変までアウトライトな戦争は、非加盟国のソ連とドイツ・トルコが関与したものを除き、防止または調停に成功した。
1926年の常任理事国増加問題
そして満州事変の評価であるが、この事件をもって国際連盟の機能が低下したととるべきではない。すなわち、それまで国際連盟は軍隊の派遣はおろか経済制裁すら1件も実施していない。そして1926年から1929年の間は武力紛争の報告は無く極めて平穏な時代だった。つまり、第1次大戦の後遺症にあたるヨーロッパ内領土紛争は、1925年をもって終了したと見なすことができる。ドイツのそれ以降の拡張方針はいわばベルサイユ条約そのものの修正を狙ったものである。
そして、満州事変で国際連盟はリットン報告書を採択し、日本に調停案を出したわけだがそれ自体は成功しなかった。そして日本は脱退したが、国際連盟が日本に制裁を課したわけではない。そして1933年の唐沽協定により日本と中国の間で和平が成立しており、いわば国際連盟の武力紛争の停止という目的は達成されている。
そして、満州事変以降国際連盟は勧告に従わない場合、経済制裁を課すという方向に転換したようにみえる。つまり、イタリーのアビシニア侵攻に対しては経済制裁を課した。チャコ戦争で休戦案を拒否したパラグァイに武器禁輸を課した。だが両方とも成功しなかった。つまり国際連盟の調停は経済制裁という方策に出た以降、失敗している。この事実は調停機関がどのような節度をもつべきか、すなわち調停と武力行使の間の経済制裁は意味がないのではないかとも思わせる。
[第一次大戦後の(武力行使 『寸前』となった)紛争」
・・・1920年代まで、ただし国際連盟が関与したものは、その後、満州事変まで発生せず。紛争は主権国家の間のみで、植民地独立運動やイスラム宗派紛争などは含まない
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年代 |
件名 |
当事者(非加盟国は非) |
概要 |
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1919 |
フィウメ問題 |
イタリー×ユーゴスラビア |
国際連盟関与せず |
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-do |
テッシェン紛争 |
ポーランド×チェコスロバキア |
国際連盟仲介案をポーランド拒絶 |
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1920 |
ビルナ紛争 |
ポーランド×リトアニア(非) |
リトアニアが国際連盟に提訴するもポーランドは議題とするのを拒否 |
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-do |
ソ連・ポーランド戦争 |
ポーランド×ソ連(非) |
国際連盟関与せず |
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1921 |
希土戦争 |
ギリシャ×トルコ(非)
トルコ(非)×イギリス |
国際連盟は戦争には関与できず難民支援にとどまった |
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-do |
アーランド諸島帰属問題 |
フィンランド×スェーデン |
両国とも国際連盟調停案を受け入れ |
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-do |
上シュレジエン帰属問題 |
ポーランド×ドイツ(非) |
ベルサイユ条約による住民投票結果についてポーランドが難色を示し、国際連盟が調停案を出した。ドイツ屈服 |
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1923 |
コルフ事件 |
イタリー×ギリシャ×アルバニア(非) |
国際連盟関与せず |
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-do |
メーメル問題 |
リトアニア×フランス |
リトアニアが武力により制圧した。国際連盟はそれを容認する調停案を出し、リトアニア受け入れ |
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-do |
ルール占領 |
フランス×ドイツ(非) |
国際連盟関与せず |
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1925 |
迷い犬の戦争 |
ギリシャ×ブルガリア(非) |
ギリシャがブルガリア領に侵攻。ブルガリアは国際連盟に提訴した。 |
これらの紛争は全てヨーロッパで発生し、かつロシア・ドイツ・トルコ・オーストリア=ハンガリー・ブルガリアの敗戦国の故地をめぐる争いである。国際連盟が関与したケースとしない場合があるが、これは提訴の有無により決定された。つまり、原告なければ裁判なしの中世的原理に従っているだけのことである。
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