近衛文麿のパリ講和会議で受けた印象


近衛は、出発前には英米による国際連盟の主導を批判していた。ところが帰国するとその説には固執していない。この人の所論は融通無碍で、決して一ヶ所の論に止まることがない。

ただ、構成はアジア=中国的で孫文に似て矛盾する思想のなかで良い点をとる所がある。従って結論で矛盾しやすい。ただ底に流れているのは、陽明学的世界把握、すなわち行動儒学であり民衆の支持を受ける、または民衆のためになる施策(要するに減税)のためには全ての行動、言説が許されるというもので、いささか古代平和主義的な感がある。

近衛は「戦後欧米見聞録」で次ぎのように述べる。

米国人の視野が世界的であるに反し、日本人の視野が今なお狭小にして、わずか極東の一部に限られているのははなはだ遺憾なことである。すなわち、わが国民は自国に直接利害関係がある場合には非常の熱心をもって騒ぎたてるが、東洋以外のこととなれば我関せずの態度をとる。現にある外人は日本人を評して、彼らは利己一点張りの国民である。世界とともに憂いを分つべき熱心さも親切もない国民なり。と語った。

この後外務省の中東やバルカンについての調査不足をあげつらう。

この近衛の言説は近衛にしては珍しく現代に通ずるものをもっている。ただ軍事外交に携わる人間以外は普通周辺諸国どころか自国にしか興味はない。島国であれば特に当てはまる。

また外務省が調査していない、は誤解だろう。日本の外務省の事務能力は常に一流だ。本当はそこに止まっていれば良いのだ。この時あった日英同盟をあらゆる対価を払っても維持し、一切時流を考慮せず保守をまっとうすれば、それはそれで立派な外交だ。歴史がそれを証明している。いわゆる少壮官僚がこの国をダメにしたことを忘れてはならない。要するにパリ講和会議で目立ったことができただろうか。

第1次大戦で仏・英・米は西部戦線での勝利を莫大な人命と引き換えに得た。日本は日英同盟を理由に参戦した。そしてロシアの後背を守り、インド・太平洋の水路防衛に寄与した。この寄与は戦局に大影響を与えた。もし日本が中央同盟に組したら、連合国の勝利はあっただろうか。しかし人命はそれ程失わなかった。

ヨーロッパの平和維持機構が国際連盟の本質だ。そして目的はドイツの武装解除維持にある。この大義に日本としてどう対処すべきだろうか。ドイツ問題と日本問題が戦間期外交の本質にある。もしロシアとアメリカが関係しなければ両国が欧亜で圧倒的になるためである。

この事態は非常に解決困難で、陸軍の大アジア主義者を念頭に入れれば気が遠くなる。ただアメリカとそれに従うことを国是としたイギリスとの協調が重大だという事は、当時の原首相、牧野、内田、石井ら外務省首脳はわかっていた。つまり老練な人々は事態を呑み込んでいた。これらの人々の影響力が薄れるにつれ近衛の標榜した反英米主義がのさばるようになった。

だがこの時パリ講和会議の本省の指示は常に「イギリスに追随しろ」というものだった。

外交はそれで良いのだ。



近衛文麿『戦後欧米見聞録』1920、外交時報社 

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