ケマルの帝国主義批判の議会演説

1922年ギリシャ軍をサカリヤ河畔で撃滅したあとケマルはスルタン制とカリフ制の分離を図った。ケマルの1922年12月7日の議会演説(抜粋)である

カリフ制の問題について様々な点から説明してきた。そしてはっきりと言うが、カリフまたはどうのような肩書きをもつ人間だろうが、新しく建設されたトルコ国の独立や活動、運命に関することについて干渉は許さない。

私はトルコをたとえ人口が少なくてもカリフの恣意に委ねることはないことを人々に訴えてきた。そうだからこそカリフは全イスラム世界という広範囲なものに基礎を置く使命を果たさねばならないと考えている。

トルコ国はそのような常軌を逸した使命を果たす能力はない。

数世紀にわたり我々の国家はそのような誤った観念の影響下にあった。そして結果は一体何だったか?あたり一帯の数百万人の死だ。

ご承知か?アナトリアの息子たちを何人イエメンの灼熱の砂漠で死なせたのか?アフリカにおける権益を維持するために、シリア・エジプト・イラクを保有するために我々はいかなる損害をこうむったのか?結果をご承知か?新生トルコの人民はもはや自分の存在と繁栄以外考える理由など存在しない。もう他国の人々に与えるものはない。

ケマルは軍人出身の政治家としてこの時代では稀有の議会の子でもあった。あらゆる戦争や戦闘について、作戦を議会に報告するとともに、それの評価もあわせて行なっている。いかに統帥権への議会の不干渉など無意味かがわかる。軍人の傲慢な批判拒否にすぎない。

ケマルの帝国主義批判は、その戦争における無意味な死に根拠を置いている。これも並の軍人が言えることではない。


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