ギュイユモン(3rd Drive)

ヘイグはポジエールで前進が拒止されると、ドイツ軍が東で粘っている地点ギュイユモンに着目した。このヘイグの主攻の転換は決して悪いものではない。ギュイユモンは小さな突起部を形成していたからだ。

ところがヘイグは道路正面すなわちドイツ軍陣地正面しか目がいかない。つまりギュイユモン正面に波状攻撃をかける形となった。当時のイギリス陸軍の教則ではまず最強地点を狙って攻撃せよとあり、それに忠実だったことになる。ただこの時点でも独仏軍はこの戦法が誤りであることは認識しており、ドイツ軍のゴルリッツ突破戦やフランス軍のベルダンの失地回復戦では、弱い地点を狙い突破口を作ることにより敵を後退させる戦術がとられている。

一方ドイツ軍も失地について万難を排して取り戻せとの命令を出していた。ギュイユモン周辺は偶然戦場となったものでドイツ軍も恒久陣地は用意していなかった。このため砲弾孔の上に機関銃を据えつけたり、砲弾孔をつなげて即興の塹壕線を構築するなど、不定期遭遇戦の様相を呈した。

ただ数で優るイギリス軍にドイツ軍はジリジリ押され、ギュイユモン突起部に即興の複雑な塹壕線を構築し最後の抵抗を試みた。

8月18日からギュイユモンに向け攻撃がかけられたが、イギリス軍はデルビルの森で数10メートル前進できた他、全て失敗した。

イギリス軍がギュイユモンの町全てを占領できたのは9月3日のことである。


ギュイユモンで破壊されたドイツ軍強化地点
即興で作られたもので天井は木材で覆い土が被せられただけである。
右に立つのはイギリス軍兵士


ソンムの戦いに戻る