第3次攻勢であれだけ攻めあぐねたギュイユモンは9月3日、1日の攻撃で陥落した。
この周辺の地形は概ね平らで森や林があちこちに散在していた。
1916年8月に限りギュイユモンは全世界で最も有名な集落となった。
そしてギュイユモン正面のドイツ軍の即興ではあるが精巧な塹壕を突破できず、デルビルの森やトロネスの森をめぐる一進一退の戦いが繰り広げられた。他方東方のチェッバル=ポジエール高地でも同様でイギリス軍はなかなか前進できなかった。
9月3日、第16アイリッシュ師団の一部、第47アイリッシュ旅団が攻撃主体となり戦闘配置についた。この日は従来にない砲術の工夫がなされた。すなわち這う射撃と呼ばれる、弾幕移動射撃で1分間に25ヤードずつ弾着を前進させるというアイデアだった。
攻撃は正午に開始された。
戦闘序列も意欲的で左翼1番が第6コンノート・レインジャー連隊、2番が第8ロイヤルマンスター狙撃連隊、右翼1番が第7ラインスター連隊、2番が第6ロイヤルアイリッシュ連隊で編成された。1番はある地点で停止し、2番がそれを超越して前進する計画だった。
左翼の第6コンノートが白昼前進を開始した時と同時に砲撃は開始されたから、ドイツ軍は地下壕から出ることができず、完全な奇襲となり歩兵が地表を前進するのを地下で眺めるしかなく、また後続の第8マンスターに捕捉される結果となった。計画通り、ノースストリートで第6コンノートは停止し、それを超越した第8マンスターがジンシー前面まで到達することができた。
右翼もほぼ同様の成果をあげた。
この攻撃は敵の構える陣地攻撃としてはソンム戦で最も成功した戦いとなった。ただ、成功の原因は奇襲の達成(準備射撃をせず、また自軍の砲撃中に前進する)によるところが大きい。もちろんこのような方法は一回きりで二回目からは警戒され、必ずしも成功するとは限らない。