大東亜共栄圏と西田幾多郎


大東亜共栄圏が日本の太平洋戦争の大義だった。そして日華事変でこの大義は叫ばれなかった。理由は明白だろう。日華事変と太平洋戦争は陸軍が考えるように連続していない。そしておそらくこの大義や東亜新秩序によって太平洋戦争が開始されたわけではないのだろう。近衛文麿がこの標語の主唱者であり、東條英機がそれを継承した。

これの思想的基盤はすなわち世界がブロック化されるのが必然的な流れであり、日本を盟主とする東亜ブロックはその流れの一つである。そして世界が数ブロックに分かれた後、恒久平和の世界連邦が形成されるとする。

これはただの迷信であるが、現在でもEC(かつてのコメコン諸国なども)などをみて同様の主張がなされる。これは広域帝国の主張にすぎず、スターリンやブレジネフが夢想した東ヨーロッパ帝国もその一種である。ECは自由貿易圏の中途半端なものに過ぎず、かつてのドイツ関税同盟とかわる所はない。そして連邦や帝国の第一歩では決してない。そこには戦争という名の暴力が介在するからだ。そして近世の歴史とあらゆる人々の苦悩を巻き込んで成立した自由や平等とブロック国家の出現は矛盾し、連邦がその名前を越え政治権力をもてば、官僚組織による圧政に陥る。

そして実現してもスターリンの帝国で典型的にみられたように、それは暴力と退歩の世界となる。歴史について必然を主張する人々の背後には暴力を必要悪として認める思想が隠されている。つまり必然だからその実現に関しては暴力の行使が許されるという見方である。

この論理はしかし日本的で、おそらく儒教的な中華思想、すなわち中華民族による天下統一という理念が頭にあるのだろう。近衛は元来中華趣味をもっており、京都大学で西田幾多郎(哲学)や河上肇(経済学)の影響を受けていた。

下の文章は西田幾多郎の大東亜戦争賛歌である。ただし全集からは消去されている。

世界新秩序の原理

要旨
真の世界平和は全人類に及ぶものでなければならない。しかるにかかる平和は、世界史的な使命を自覚せる諸国家、諸民族が、先ず地縁及び伝統に従って一つの特殊的世界即ち共栄圏を形成し、更に共栄圏が相協力して真の世界即ち世界的世界を実現することによってしか到達されない、そしてかかる共栄圏の確立及び各共栄圏の協力による世界的世界の実現こそは、現代の担っている世界史的課題である。

大東亜戦争は、東亜諸民族がかかる世界史的使命を遂行せんとする聖戦である。歴史が炳として(明らかに)示す如く、飽くなき米英の帝国主義は東亜諸民族を永く足下に蹂躙してその繁栄を阻止し来った(して来た)。この米英帝国主義の桎梏を脱し、東亜を東亜諸民族の手に回復する道は、東亜諸民族自らが、共通の敵米英帝国主義の撃滅、根絶を期して結束する以外にない。すなわち大東亜戦争を完遂して東亜を保全し、東亜共栄圏を確立して共栄の楽を偕にすることが、現代東亜諸民族の第一の歴史的課題である。

今や志しを同じうする独、伊、その他の諸国は欧州の天地に新秩序を建設すべく勇敢に闘っている。亜欧両州におけるこの二大事業の完成する秋、真の世界平和を招来すべき世界的世界は実現するであろう。東亜共栄圏を通じて世界的世界の実現に努力すること、これが東亜諸民族の第二の歴史的課題である。

<解説>
世界はそれぞれの時代にそれぞれの課題を有し、歴史的必然を以って推移する。
 今ヨーロッパの最近世について見るに、一八世紀は個人的自覚の時代、いわゆる個人主義、自由主義の時代であった。一八世紀に於いては未だ一つの世界的空間に於いての国家と国家の対立というまでに到らなかった。大局から云えば、イギリスが海を支配し、フランスが陸を支配したとも云い得るであろう。しかるに一九世紀の世界的空間に於いて、ドイツがフランスとが対立し、更に進んで植民地を含む一層大いなる世界的空間に於いてドイツとイギリスとの一大勢力が対立するに到った、これが前世界大戦の原因である。一九世紀は国家的自覚の時代、即ち国民主義の時代であった。しかしながらこの国家主義には、未だ国家の世界史的使命の自覚がなかった。従って一九世紀の国家主義は帝国主義となって発展した。即ち、各国民が、何処までも他を従えることによって自己自身を強大にすることが、歴史的使命と考えられたのである。
 しかるに、国家に世界史的使命の自覚なく、単なる帝国主義の立場に立つ限り、資本主義的傾向を採らざるを得ないのであり、従ってまた階級闘争の出現を免れない。一九世紀以来の世界が、帝国主義の時代たると共に階級闘争の時代でもあった所以である。しかしながら、階級闘争を主張する共産主義は一面に於いて全体主義ではあるが、その原理は、一八世紀の個人的自覚による抽象的世界理念の思想に基づくものである。思想としては、一八世紀思想の一九世紀的思想に対する反抗と見ることもできる。故に共産主義は今日に於いては、帝国主義と共に過去に属するものであり、従って新たなる世界史を形成する指導原理たる資格を喪ったものである。全体主義はかかる指導性を喪った帝国主義及び共産主義に対する反撃であって、一方帝国主義の侵略に抗すると共に他方共産主義による内部攪乱に備えんとしたものである。全体主義が国民の全体性を強く主張したのはその為である。
 今日の世界は、世界的自覚の時代である、各国民が、各自世界史的使命を自覚することによって、一つの全く新しき時代、換言すれば、世界史的世界即ち世界的世界を構成しなければならない時代である。前世界大戦の終了と同時に世界は現にこの段階に入ったのである。今次の世界大戦はその発展たるに過ぎない。
 過去の世界に於いては、各国家各民族は、地理的制約の為に十分連絡づけられていなかった。しかるに科学の進歩は交通の発達を促がし、その結果今日に於いては、近接する諸国家諸民族が一つの世界的空間に於いて緊密なる関係の置かるるに到った。かかる世界的空間に於いて強大なる国家と国家が対立する場合、世界は当然激烈なる闘争に陥らざるを得ない。そしてこれを解決する途は、各国家が世界史的使命を自覚し。各自自己に即しつつ自己を越えて一つの世界的世界を構成する以外ない。現状を以って国家民族の世界的自覚の時代という所以である。
 注=特に民族と云うは、蒙古、仏印、ビルマ、フィリッピン、印度及び南方諸民族を考慮せるためである。

 しかしながら各国各民族が自己に即しつつ自己を越えて一つの世界を構成すると云うことはウィルソンの主張せる国際連盟に於いての如く、各民族の現実的能力を考慮せずして、何れの民族に対しても一律平等に独立を与えんとすることではない。凡ての民族に対し無差別平等に独立を与えることは、却って民族の為に考えざるものである。如何にして弱小民族を育成するかが問題である。かかる民族主義の考える世界は十八世紀的な抽象的世界理念に過ぎない。かかる思想によって現実的課題の解決の不可能なることは、今次の世界大戦が証明するところである。
 事実に於いて、凡ての国家凡ての民族は、いづれも固有の歴史的地盤に成立したものであり、従ってそれぞれ固有の世界史的使命を有するものでなければならない。そこに各国家各民族が各自の歴史的使命を有するのである。故に各国家各民族が一つの世界的世界を構成するということは、国家及び民族が各自に即しつつ自己を越えて、それぞれの地域、伝統に従って先ず一つの特殊的世界即ち共栄圏を形成し、斯くて歴史的地盤から構成された特殊的世界が相結束して、更に一つの世界的(世界全人類を含む世界)を構成することである。かかる世界的世界に於いては、各国各民族が各自の個性的生命に生きると共に、自己の構成する特殊的世界(共栄圏)を通じて、一つの世界に結合するのである。これが今次の世界大戦によって要求される世界新秩序の原理でなければならない。
 今次世界大戦の課題が斯くの如きものであり、世界新秩序が斯くの如きものであるならば、東亜共栄圏の原理も自ら此から出てこなければならない。従来東亜諸民族は米英の帝国主義の為に蹂躙せられ、各自の世界的使命を奪われていた。今や大東亜戦争と共に、東亜諸民族は何れもその世界史的使命を自覚し、各自自己に即しつつ自己を越えて一つの特殊的世界、即ち東亜共栄圏を構成し、以って真の平和を招来すべき世界的世界を実現しなければならない。日本民族は、世界的使命の自覚における先進であり、大東亜戦争はこの世界史的使命遂行の烽火である。日本民族が、一億一心如何なる犠牲をも恐れず、国運を賭して戦争遂行に直進しつつあるのは、東亜共栄圏の確立が、アジアを救うと共に、全人類に光明を与うるものであることを確信するからである。然しながらこの確信は単に我等日本人だけではない。我等の声に応じて、欣然大東亜戦争に参加した東亜諸民族に於いて共通である。
 更にまたドイツ、イタリアを始め枢軸側諸国は、ヨーロッパ新秩序を建設する為に勇敢に戦いつつある。ヨーロッパ新秩序の完成と共に、世界新秩序の完成に寄与するものであることは疑いを容れないのである。
 重ねていう、大東亜戦争に伴う東亜共栄圏の確立は、一つの新しき世界、換言すれば世界史的世界の形成に到る第一過程である。皇道を表明する八紘為宇の理念は、かくて世界的世界形成即ち世界史的世界形成の原理として理解されるのである。世界史的世界形成主義即ち新世界主義こそは、米英帝国主義を克服する使命を担うものである


( )内はあとで付加

西田の悪文

この文章を最後まで読んだ方は相当に忍耐強い。西田の文章の冗長さと繰り返しは常態だが、この文章はとりわけ悪文である。解説のなかだけで「世界」という文字が55回出てくる。

ところがこの傾向は実は西田に限られていない。ヒトラー、ローゼンバーグ、ゴットフリート・フェーダーなどドイツ国家社会主義党(NSDAP)の論者にも共通する。ヒトラーは「摂理」を繰り返す。すなわちユダヤ人差別などを肯定する際に、それは摂理だと強調するわけである。

西田にとり現在の「世界」は必然的にある未来の「世界」に向かうとする。つまり地球がブロック化し世界連邦となり永遠の平和が達成される。この流れは必然であり諸民族が参加せねばならないとする。それを阻むものは(ユダヤ人やソ連共産主義でなく)米英帝国主義だとする。英はともかくフィリッピンに独立を約束した米が帝国主義だというのは珍しい論旨だが当時の(現在も極右・極左の多くの)日本人はそう思い込んでいた。

世界連邦

西田はいわば恒久平和の世界連邦実現の1ステップとして、現下の世界大戦完遂を訴えた。

これもよくある論理で現在でもブロック経済は必然だとか、国境をとりはらった国家連合=共栄圏を作ろうと、まともな教育をうけた人間が臆面もなく主張する。歴史が必然だと主張する人々の論理は西田に限らず武力行使を肯定する、即ち暴力を容認する。ところが国境は歴史によって裏打ちされており、歴史が必然的に動くなどという論理よりは重い。近世の人間は金銭や食糧よりも理念で動かされる。しかし各国の歴史も覆すことができない事実を背負っている以上、単なる頭の中の未来よりも重い。そして民主主義や現在の繁栄はあくまでも一国の中で成立しているに過ぎない。

世界連邦は共和制をやるのか、誰が指導者となるのか、それとも民主主義は無視するのかという簡単な疑問により覆される。もし地域主義が出てくれば、その単位での民主主義は成立しない。これは現在の国連への疑問と同一である。

戦間期や終戦後しばらくこの世界連邦という空想は日本人に非常にによく受け入れらた。あまり論理的に説明されたものはないが、世界共通語とか世界宗教などの奇妙な概念が流行した。西田のいうように国家や国民は歴史を背負って現在生きている。それだからといって歴史に逆らって悪いことはない。例えば朝鮮民族が日本にその本貫の地を植民地とされたからといって、その歴史に逆らって独立運動を展開することは悪いことではない。そして現在の朝鮮人が日本人に植民地化したことは悪いことだと非難しても、日本の歴史が悪いことにはならない。すなわち歴史とは現在の人々との対話でなく過去の人々との対話でなされるべきで、そしてそこに善悪があったとしても人々の心の中を支配するだけである。つまり過去隣国に虐待されたとしてもそれについて忘れないのは自由だが損害賠償を要求したり復仇戦争を開始することは違う話で現代の政治=外交に属することだ。同様に現在異民族のいる地域を支配しているからといって、それを不可分の領土として永遠のものとして固定することなど許されない。

世界連邦とは心の中の話であり、それの実現のために国政を動かしたり武力行使するのはインテリの妄想である。心の中のことをを公的なことに出さないのが啓蒙主義であり西田の嫌う十八世紀の個人主義である。

マルクス主義者亜流としての西田

この必然論はマルクス主義の影響をうけている。つまりマルクスは階級闘争が歴史の原動力だとするが、西田はそれを一旦肯定し、それを国家間(=国民間)の戦争に止揚せねばならないという。このような雑駁な論理に反論は不要だろう。

そしてマルクスの最大の主張、唯物論を肯定する。唯物論は日本マルクス主義者に言わせれば奥が深く常人には理解しがたいものらしいが、ここでは簡単に理解する。つまり人間が戦争(革命・内乱)に駆り立てられるとすれば、それは明日の食事や職、賃金によってに違いないと即断することである。これはインテリの労働者蔑視から来ている。つまり労働者は左様に動くが自分達はその行動をつかみ指導するのだという思い上がりである。

西田はインテリとしてマルクスに同意した。

西田の呼びかけは表面に出ることがなかった

聖戦完遂を訴える西田の呼びかけはしかし表面に出ることがなかった。つまりこの文章は陸軍省の求めに応じたものだが、陸軍省はボツにした。これはなぜだろうか。西田の呼びかけはマルクス主義的な歴史必然論に軌範が置かれているだけで力がないからだ。つまり侵略戦争=敵に第1弾を撃つ、の呼びかけは簡単なものではない。ヒトラーは独立ポーランドを崩壊させることにより第二次大戦を開始した。この時ヒトラーは謀略を使いポーランドが先に侵攻したのだと外観を取り繕った。そしてソ連と戦端を開始した時は、スラブ人よりドイツ人の方がより文明的であると差別を拠り所とした。

真珠湾を攻撃についてこの種の言辞を弄することは難しい。戦争開始のさい国民に奮起を呼びかける言葉は「今、敵がこの美しい国土を蹂躙しようとしています。愛する祖国と愛する家族を敵の手から守るため諸君がその義務を果たすことを期待します。」というものが一般的だ。明日の賃金を守れとか、明日君が耕すことができる土地がそこにあるとかの呼びかけに力はない。つまり国民は敵に侵略されない限り容易に銃をとることはない。そして多くの軍人は誤解するが歴史上侵略される事態に立ち至るとそれまで最も頑強に反戦を主張していた人々が最も徹底的に戦おうとする。多くの侵略者はこれを事前に予見できず失敗する。

東條は大東亜共栄圏と自存自衛を開戦の理由として選んだ。自存と自衛は一致しないがともかく防衛戦争だと主張することが得策だと思ったのだろう。

それでも西田は弾圧された

ところが西田は陸軍東京憲兵本部とそこに巣食う文化人に付け狙われた。

弾圧の中軸をなしたのは役所の30代の若手の課長補佐と呼ばれる階層の人々だった。手始めに西田門下生の三木清を投獄し拷問にかけ殺害した。これにたいした理由はない。あるとすれば東條への忠誠心争いのようなもので個人の栄達を狙ったものである。これらに手をくだした人々は戦後責任を問われることもなく、一部は革新陣営に走った。教科書問題を始めに問題にした人物もこれに該当する。また社会党の代議士となった人物もいる。これは本当に恐ろしいことである。

彼らは自分で犯した犯罪を反省するどころか、その後も他人に攻撃的であり続けた。誰でも高校生の世界歴史の教科書をみればすぐにわかる。そこには第一次大戦は帝国主義の戦争であり市場を求める大会社がひき起こしたと書かれている。大会社(営利会社)がひき起こす戦争などこの世に存在しない。

もちろん彼らが太平洋戦争を引き起こしたのではない。むしろ近衛や東條の大東亜共栄圏の思想が一定の影響を与えたというべきだろう。また彼らは教育界などの狭いサークルを除けば現在全く影響力はない。しかしこういった事実が存在したことは歴史の一部であり忘れられることはないだろう。

最後に奇妙な事実がある。西田の逮捕手続きは実際になされたが、それを止めたのは東條の一の子分佐藤賢了だった。

現在でも満州事変(日華事変?)からまたは真珠湾からの戦争を大東亜戦争と呼ぶべきだと主張する人々は絶えることがない。歴史的呼称であり当時の政府がそう呼ぶと主張したことは事実である。しかしその呼称の背後にこのような主張がなされたことを承知しているのだろうか?



『文芸春秋』 昭和29年6月号 大宅壮一 「西田幾多郎の敗北」

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