旧軍参謀本部では日露戦争以来、陸戦での勝利は包囲によるという考えが主流となっていた。そして陸戦での作戦意図を包囲・突破・正面攻撃の3種類に分け、正面攻撃はすべきでない方法と規定していた。
そして包囲(両翼包囲を狭義で包囲といい、また片翼包囲を包翼といった。)作戦はあらゆる局面、すなわち集中時(動員直後)、遭遇戦、陣地戦すべてに有効で代表的な戦術だとする。また第1次大戦の陸戦におけるドイツ軍の優勢は作戦を常に、包囲を念頭に置いているためだと主張した。
しかも包囲のタイミングの取り方は難しく現場の野戦軍司令官の能力による所が大きい。このためには独断専行能力(?)の強化と部隊協同動作向上が必要だとする。
そして例証の最大のものとしてタンネンベルグ包囲殲滅戦をあげる。
タンネンベルグ戦を称揚するのはイギリスのアイアンサイド(第2次大戦開戦時の陸軍参謀総長)も同様で、戦術面では20世紀最高の勝利だったと、記述している。
この戦いがヒンデンブルグとルーデンドルフの令名を決定的にしたのは事実だ。しかし、この戦いをみると全くルーデンドルフの作戦計画どおり動いていない。
すべて偶然が包囲を完成させている。ルーデンドルフは戦後この戦いをハンニバルのカンネーの戦いになぞらえた。確かにサムソノフの第15軍団と第13軍団の正面攻撃を、予備・後備旅団をうまく使って退きながら防いだのはカンネーを連想させる。しかしハンニバルは騎兵で近接両翼包囲を行った。これと同じ事を歩兵・砲兵中心の包囲部隊でやろうとしても機動性がなく土台無理だった。
これを救ったのはフランソワのナイデンブルグ−ウィレンブルグ線の確保すなわわち敵と接触せずに包囲する方法だった。フランソワはこの時単に敵の退路を断つことだけを考えて独断専行に及んだのではないか。
すると独断専行能力が重要かという事になる。
タンネンベルグ戦でルーデンドルフがフランソワの独断専行によらず包囲を成功させることができただろうか。やはりルーデンドルフの元のアイデアすなわち主戦場に全ての部隊を同時期に集中させるという考えでは無理だっただろう。だが敵の退路を断つ発想をすれば可能だったのではないか。この戦いの隠れたポイントはロシアの第15軍団と第13軍団が西方に迂回し近接片翼包囲を狙った前進を8月28日まで続けたことだ。これは第6軍団崩壊の報告の遅延、及び第1軍団増強指示の不徹底に起因する。
旧軍も認めるが、包囲を敵の側面への打撃と捉えるか、または退路を断つかでは部隊運用に差が出る。 しかし野戦総軍(軍団ではなくて)の参謀が計画できるはずで、独断専行能力とは関係がないのではないか。事実この後歴史上の包囲作戦成功が現場指揮官の独断専行によったわけではない。
1940年5月、機甲師団により更に大規模にヒトラーのドイツ軍は片翼近接包囲を成功させ、英仏軍を総撤退に追い込んだ。また1955年8月、マッカーサーの国連軍が仁川上陸を成功させ北朝鮮軍を遠隔包囲で殲滅した。このように包囲戦の成功はこの後も続くが、タンネンベルグのように偶然と一司令官の独断の組み合わせによるものはそう起きることはないだろう。
それではロシア軍に勝機はあっただろうか。自軍が二倍あったとしても簡単には勝利できないし、ベルリンに到達するのは不可能だった。敵地での攻勢は二倍の兵力差で自動的にカバーしうるほど容易ではない。そしてドイツの総動員では現役師団の戦時編制への変更はほんの一部にすぎない。すべての重要地点に国民兵部隊が配置され、更に少年・少女にいたるまで敵情通報が課されており一部には戦闘服が支給されていた。もちろんロシアが史実程の損失を避ける道はあった。第一は補給を確保し側面を守り進撃することだ。
ジョフルの予言の通り、東プロイセンは待ち伏せの地だ。鉄道・道路が発達しているためドイツ軍が不意に現れることを覚悟しなければならない。実際にはサムソノフの第6軍団がダダイ湖周辺で意外に強力な敵と遭遇し敗退した。そしてロシア軍が警戒していたのは実際には有力なドイツ軍のいないケーニヒスベルグとトルン方向だった。索敵が難しいとすれば側面確保で二倍の兵力が必要になってしまう。それができなければスピードを落とすしかない。
ところがロシアの戦略目的はそれを可能とさせない。ロシア軍は東プロイセンの占領とフランス軍の負担軽減という二つの目的をもった。ドイツ軍のパリ攻撃の鋭鋒をそぐには、スピードをあげるしかない。それでも小モルトケの失策ではあるが2個軍団を西部戦線から引き剥がすのに成功した。その意味でうち一つの戦略目的は達成したのかもしれない。
タンネンベルグ10周年の1924年にとられた記念写真 後列右からシュメッタウ、シュタッブス(第37師団長)、フランツ、モルゲン(予備第3師団長)ヘル(第20軍団参謀長)シュミトゼック(第1軍団参謀長)ハイエ
前列右からショルツ(第20軍団長)ヒンデンブルグ(第8軍司令官)フランソワ(第1軍団長)マッケンゼン(第17軍団長)ドゥンケル(第17軍団参謀長)