クレマンソーのカポレットー戦についての評


クレマンソーは1917年11月、首相に再任されたが、早速イタリー戦線にフランス軍を派遣せねばならないこと、なぜイタリー軍が大敗を喫したか、国民に説明せねばならなかった。この演説は1917年10月にカポレットー戦が開始されてから、ほぼ一ヶ月あと行われた。

イタリーの情況について、その軍事的な様相から考えてみよう。

初めに、イタリー軍最高統帥部の主要な失敗をあげねばならない。そして、それだけでこの悲劇について説明することができる。その失敗とは軍の配置についてである。

第2軍はイソンゾ河渡河のあと、ムツリ・ネロ山・ウリッチに布陣した。敵とは北側に相対することになるが、高地の頂上を占領したわけではない。

一方、第3軍はクコ・サント山・ボディスに布陣しており、山頂部を占めていた。敵とは東側に相対峙し、オーストリアの主邑ライバッハ(現在のスロベニアの首都リュブリアーナ)を目指す位置にあり、あたりはバインシッツァ高原と呼ばれていた。

しかしながら、両軍の結節点にはトルミノ=サンタルシア橋頭堡があり、そこはオーストリア軍が未だ死守していた。

軍事専門家は、もし敵軍が十分な兵力をもてば、第2軍と第3軍の中間を、間歇的にある高地を縫うように進み、両軍を混乱に陥れることができる、と指摘し、注意も喚起していた。

ドイツ人が東部戦線から幾許かの兵力をイタリー戦線に割くことが出来たあと発生したことは、まさにそれだった。

二番目の失敗、それは第2軍と第3軍がこのような危険な状態にあるにもかかわらず、奇襲に備えた予備隊を保有しなかったことである。1916年5月、トレンチーノにおけるオーストリア軍の攻勢のさい、将官カドルナは、攻勢の合間に予備隊として第5軍を編成し、戦勝を収めた。

決定的な瞬間を選んで、第5軍は戦場に投入され、敵を撤退に追い込んだ。だがしかし、さっぱり理解できない理由で、ある晴れた日、第5軍は解散されてしまった。人的資源が枯渇したためではない。過去においても現在においてもイタリーの人的資源は豊富にある。そして、他の軍における補充も十分だった。

しかも、イタリー最高統帥部は補充兵を前線の近くに配置することにいつも消極的だった。そして予備隊がまさに必要なとき、補充兵部隊は間に合わず、第2軍は壊走に陥り、そして第3軍の敗北へと続くことになった。

この失敗は他の要素とも結びついている。すべては、前進した地点の防御が完璧であると盲目的に信じてしまったことで説明できる。さもなければ、どうして前線に近い、イソンゾ河とタグリアメント河の間にこうも大量の軍需物資を蓄積したのか説明できない。小麦一つとっても、30万トンが既に半ば餓えかかった敵の手に落ちてしまった。

また、後退のための第二次防衛線を構築しなかったことは弁明の余地がない失敗である。そのうえ後退に備え、1本の道路すら1本の橋(古代の5つの橋を除き)すらなかった。

大量の人と物資が撤退と同時に始まった渋滞にひっかかった。全部が一時に河を渡ろうとしたためだ。結果、大量の資材が放棄されそのまま敵の手に落ちてしまったのだ。

クレマンソーらしい、手厳しいイタリー軍批判だが、政治家としてこれだけ的確に軍事作戦を批評できる人物であったことに驚くべきだろう。クレマンソーは西園寺公望とともに、急進主義(自由主義)アコラス門下に加わり、その後ドレイフュス事件ではユダヤ人ドレイフュスに味方する論陣を張り、亡命を余儀なくされた生粋のリベラリストである。

イタリー軍の重砲。日露戦争の旅順攻防戦で使われた28サンチ砲と、閉鎖器が改良されているほか、同一のものである。ただし、この臼砲を発明したのはイタリー人。

第一次大戦後、パリ講和会議に派遣された西園寺や牧野伸顕は、のち「自由主義者」と排撃された。しかし、この二人は同時に「重臣層」ながら軍部に反論できる人材だった。その後現れた若手、近衛文麿や弊原喜重郎・広田弘毅は、いかなる意味でも軍人に論陣で対抗する能力がない小粒な人間だった。

5・15事件でも2・26事件でも西園寺と牧野は狙われた。反面、近衛文麿や弊原喜重郎・広田弘毅はテロの標的にされたことがない。もちろん、老人をそのようなテロにかけることを恥じない軍人(青年将校)とは一体何だろうか?フランスで、もっとも徹底的に戦争指導した政治家クレマンソーは自由主義者だったのだ。

この時、イタリー軍は装備や士気で劣っていたわけではない。重砲の量ではオーストリア軍を常に圧倒していた。失敗の原因は、「量」や「士気」・「編制」ではなく、クレマンソーが指摘するように「方法」にある。クレマンソーはまたドイツ軍の新戦術「浸透戦術」について、ある程度知っていたのも確実である。

なぜならば、「退路の確保」「予備塹壕の設営」「戦略予備隊」など、浸透戦術に対抗する方法について言及しているためだ。


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