シスプラチン戦争

ウルグァイの独立運動

スペイン軍が1814年6月モンテビデオを最後にラプラタから全面撤退すると、ウルグァイの指導者ホセ・アルティガス大佐はモンテビデオに入った。ブエノスアイレスはナポレオン戦争の時代にはスペインと協力しフランスと戦ったが、自治の拡大を喜ばないスペインに退去を迫りついに実現させた。

しかしアルティガスはこれがほんの始まりだとよく理解していた。スペイン軍をラスピードラスで敗北させモンテビデオに追い詰め海に落としたのはブエノスアイレスの助力があってのことだった。またブエノスアイレスは大アルゼンチン建設を考え、ウルグァイがその一部となることを目論んでいるのに違いない。

一方ポルトガル人王国の動きも目を離せなかった。このポルトガル人王国はポルトガル領ブラジルの保護国としてリオグランデ州に樹立されたものだった。ポルトガル人王国はウルグァイ(ポルトガル人はシスプラチンと呼んだ)の主権をもつと主張していた。

ブラジルの独立

アルティガスのバンダオリエンタル国(東岸の意味でラプラタ河口の東を指す)実現の夢は遠い彼方にあった。まず敵は一つづつ片付けねばならない。アルティガノスは騎兵隊をかってブエノスアイレスにまず挑戦し、1815年一杯かけ放逐するのに成功した。しかし1816年4月、ポルトガル人王国はレコールの指揮下4900人の軍をもってウルグァイに侵入を開始した。アルティゴノスは2000人に部隊しか保有していなかった。いくつかの戦いのあと1817年1月最後の拠点となったカタランでレコールはウルグァイ軍を撃破しモンテビデオに入った。アンティゴノスはパラグァイ方面に逃れた。その後アンティゴノスはパラグァイの独裁者フランシアに幽閉されそこで生涯を終えた。

初め多くのウルグァイ人はポルトガル人王国の支配を受け入れたかのようだった。国王ドン・ホアンY世の治世は必ずしも強圧的ではなかった。事態が急速に変わったのは1822年ドン・ホアンの長男ドン・ペドロT世のもとブラジル全域がブラジル帝国として独立してからだった。ドン・ペドロは独立に自信をもちウルグァイに強圧策で臨んだ。

1825年4月アルティガスの元部下ホアン・アントニオ・ラバレハがブエノスアイレスから少数の兵(現在ウルグァイでは33人の闘士と呼ばれている)を率いてウルグァイに潜入した。ラバレハは次第に同志を糾合し大勢力に育っていった。一方アルティガスを破ったレコールはなぜか弾圧に消極的で港のあるモンテビデオとコロニアから兵を出そうとしなかった。8月に入りラバレハはラプラタ連合(南アメリカ連合)と同盟を成立させ、またウルグァイ軍を設立し解放軍と名付けた。この同盟の目的はウルグァイからポルトガル人を追放することで、ラバレハは解放軍の司令官となった。ラバレハはウルグァイ人3000人の糾合に成功しラプラタ連合軍もブエノスアイレス、アントレリオス、コリエンテス、サンタフェに集中を開始した。

サランディの戦い

リオデジャネイロで乗船しシスプラチン州に向かうドンペドロT世

一方、レコールは副官のマヌエル大佐に1600人の兵士をわたし鎮圧を命じた。マヌエルは1825年10月1日行動を開始した。2週間後、敵と遭遇するとすでに解放軍とラプラタ連合軍は合流を果たしていた。予想外に敵が大軍のため進むべきか退くべきかマヌエルは迷ったが、少なくとも同数と見込み会戦することに決めた。

しかしブラジル軍の騎兵は約600にすぎず、騎兵では相当劣勢にあった。一方、連合軍は砲兵や輜重兵を除くと全員が騎兵だった。

マヌエルは右翼を厚くはりかつそこに騎兵600を集中し、中央と左翼は歩兵で固めた。連合軍はこの時500人ずつの騎兵連隊をほぼ均等にわけ左翼にラバレハの指揮する解放軍500を置いた。


戦いは1825年10月12日9時、ラバレハの騎兵が同じくブラジルの騎兵を攻撃することから始まった。この時マヌエルは騎兵によって迂回包囲する作戦だったから、逆に先制攻撃を受けることは考えていなかった。ブラジル軍の歩兵はブエノスアイレス軍の騎兵の攻撃によく耐えたが、右翼の騎兵が崩れたち背後に迫られるともはや後がなく総崩れとなった。戦いはわずか3時間で終了し、ブラジル軍はモンテビデオに逃走した。マヌエルは戦死200人を含む830人の損害を受けた。ほぼ半数にあたる。

12月にはいるとラプラタの各地からウルグァイ支援の軍が集まり始めた。ブラジルは12月10日ラプラタ連合から名前を変えたアルゼンチンに宣戦を布告した。しかし12月末までに連合軍はブラジル軍をモンテビデオに孤立させることに成功した。

しかし海上ではブラジルの優位は動かなかった。ブエノスアイレスは封鎖されアルゼンチンは大きな打撃を受けつつあった。アルゼンチンはアルベアールを新しい指揮官に任命し1万人の騎兵を中心とする部隊をラバレハの解放軍4000人と合流させることに決めた。アルベアールは連合軍の司令官となった。


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