チャコ戦争(2)

グランチャコ=戦場

グランチャコ

グランチャコは南緯20度の所にあり、しかも内陸で一年中昼夜暑さは続く。そして一年中雨が降ることがない。ところがアンデス山脈の伏流水を集める河川が東西に走っていた。

そして河川沿いにはマングローブやココナツなどの樹木が広がる。ところが河川を離れるとそこは潅木が生い茂る、水のない地帯である。すなわち水を運ばねば、兵士も馬も動けない。そして両軍とも地雷を多用することはなかったから、平坦な地形も加わり道を切り開くことは容易である。

このようにして両軍とも兵站は軍用でなく普通のトラックに頼った。

しかし、アスンシオンからパラグァイ川を利用できまた川沿いに集落が存在するパラグァイが有利だった。普通トラック輸送の最大の問題はガソリンスタンドの存在である。当時はガソリンをドラム缶で運んだが、中継ポイントを設置し人とトラックを配備すればよい。ところがあまりの暑熱で、日差しを遮らない所ではテントを張っても数日しか人間は耐えることができなかった。またこの一帯は害虫が多く、おおくの兵士・軍属が毒蛇や毒蜘蛛に噛まれて死亡した。

戦局

ボリビアの作戦は全てクンツが立案した。ドイツ人らしく作戦は機動戦に基づく、包囲・殲滅戦だった。まず、ピルコマーヨ川を下り、ナナワを通過そのままパラグァイ川プエルトカサード方面に向かい、パラグァイ軍を分断、殲滅しようというものだった。

このためにはボリビア軍は200キロメートルの距離を炎熱に耐え行軍せねばならない。

まず蹉跌はナナワで発生した。白系露人ベレイエフはフランス軍の方法である攻勢防御を熟知していた。そしてこの酷暑の地形に合せアイランド(島)と呼ぶ陣地を縦深性をもって縦横に構築させた。

もちろん資金はないから井戸の周りを鉄条網と塹壕、場合によれば土嚢を積み上げただけのものである。しかしこの戦術は予想外の効果をもたらした。なぜならばクンツは塹壕をタンクを使って突破しようとしていたが、その戦術を無効としたからである。そもそもタンクは北ヨーロッパの作品である。当時のことで冷房設備などない。エンジン付きの鉄製の小部屋に40度の炎天下に止まれるものではない。

攻勢防御(縦深防御戦術)

戦車兵はタンクの開口部を全て開放し前進した。ところがパラグァイ兵はアイランド陣地を死守する訓令を受けておらず(フランス流からすると当然である)、情況が許せば陣地毎の判断で出撃した。マングローブの陰から、あるいはブッシュの下からパラグァイ兵は突撃し手榴弾をタンクの開口部に投げ込んだ。ビッカース・マーク6は時速20キロメートルだから勇気がある兵士であれば容易に捕捉できた。なぜクンツがタンクを孤立して突出させたかは不明である。ただ、これが歩兵の掩護がなければタンクは無力だとの誤った戦訓につながった。

パラグァイ軍兵士:小銃はモーゼルの旧式タイプでアルゼンチン製と思われる。右手にはパラグァイの伝統的武器マシェティ(ナタ)。ただ銃に大型の銃剣受けを見ることができ、それに装着したのだろうか。

クンツは第1次大戦の連合軍最終攻勢で、ヒンデンブルグ線がタンクで突破されたことに感銘を受けすぎたのだろう。そして、攻勢防御の後、攻勢移転に出られることは認識していなかったようだ。

1932年6月ボリビアの攻勢が1ヶ月も経たずして失敗に終わったことは明らかだった。エスティガリビアはすぐさま攻勢移転を命令した。白系露人ベレイエフはブルシロフ攻勢の際の浸透戦術について熟知していた。

浸透戦術

パラグァイ兵は5人一組となる分隊による浸透戦術を実施した。これに対しドイツ人クンツは横三線からなる単純な塹壕線の構築を指導した。

浸透戦術の効果はてき面で、たちまちボリビア軍は総崩れとなった。アリフワタ=ピチアンプタ線で止まるまでボリビア軍は3年間の戦争期間一方的に後退を続けた。ただ近代兵器を欠くパラグァイ軍は徒歩以上のスピードでは前進できなかった。パラグァイの得た捕虜は公式には5万人一説によれば30万人に及ぶと言う。ちなみにボリビアの人口は当時300万人に欠けていた。パラグァイ政府は捕虜を養うことができず大半を殺害した疑いを持たれている。帰還した捕虜は3万人に過ぎない。ボリビアの得た捕虜は3千人だけだと言う。

パラグァイ兵は常時3倍の敵を相手に戦った。

また砲術でも両者にとり逆の目が出た。ボリビアは野砲を多く装備したが、ドイツ流に高価な加農砲タイプが多かった。ところが直接照準で戦うには敵が分散しすぎており、間接照準を行うには高地がなく弾着観測が不可能だった。また弾着観測のための航空機の活躍は十分でかった。これは双方にあてはまる。結局、アマチュアが騙されて買った迫撃砲が一番役にたった。なぜならばココナッツなど高い木を越えて射撃せねばならない2キロメートル以内の肉薄戦では、弾道が高いことが必須であり、ロケット砲などない当時迫撃砲が最も有用だったためである。

チャコ戦争航空戦

白系露人ベレイエフとドイツ人クンツの東部戦線をグランチャコに移しての再戦は明らかに白系露人に軍配があがった。


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