パラグァイの飛行機保有数は少なく、ピークでも20機を越えることはなかった。当初保有していたのはフランス製戦闘機・偵察爆撃機である。

ビボルト73C戦闘機(Wibault73C)
Primera Esuadrilla de Caza(第1騎兵中隊)Juan Gonzales Doldan少尉の乗機
この機は単葉であるが1927年型の輸出タイプで必ずしも旧式ではない。むしろ全金属製の当時としては画期的な戦闘機だった。ところがパラグァイ軍当局(当然だが陸軍しかない)はエンジンを下の爆撃機と共通にすると言う決定的な誤りを犯した。

ポテツ25A偵察爆撃機(Potez25A)
こちらは複葉複座であり、当然飛行速度は落ちた。(時速137Km)しかし問題はそれだけではない。このエンジンはフランス製ロレーヌ・ディートリッシ社製の4汽筒3層水冷450馬力であるが、重く旧式だった。そのうえ水冷能力は北フランスに於いても能力一杯だった。
戦争が開始され実戦に供与されるとビボルトは飛行中オーバーヒートを起こし、発火するものまで現れた。地上員は必死になり、壊れた飛行機を分解し流用し稼動させようとした。既にパラグァイの資金は尽きており、新しいエンジンの購入はできない相談だった。開戦後数週間でパラグァイ空軍の稼動機は2・3機までに落ち、また目的地まで飛行できるかは飛ばねばわからなかった。
ボリビア空軍はパラグァイよりも格段に良かった。

カーチスP1ホークス戦闘機(CurtisP-1Hawks)

カーチスファルコン偵察爆撃機(Curtis Falcon)
いずれも、米国製で暑さに耐えることができた。但し運用方法が成功したとは言えない。すなわち制空権を獲得したボリビア空軍機は最前線のパラグァイ軍陣地とりわけアイランドと名づけられた土嚢基地を攻撃した。しかしパラグァイ軍はアイランドに兵を密集させず、散開させていた。目標は小さく、また急降下出来る機体ではないので低空の水平爆撃となる。これでは命中させることは簡単ではない。そのうえ地形の多くは柔らかく、ただ泥を跳ね上げるだけの事が多かった。
航空機による対地攻撃が大規模となり成功するのは第2次大戦末期である。
ところが地上の兵士は上空を敵機に飛ばれると恐怖心を駆り立てられる。ボリビア軍は高射砲や高射機関銃を用意していた。1935年に入ると、パラグァイはイタリー製航空機を購入、後方への爆撃を開始した。するとこれを好機とボリビアの対空兵器は火を吹いた。ところがこれが逆効果だった。当時の高射砲弾の時差式信管は品質が安定せず、予定高度で炸裂せず地上に落下する途中で破裂、自軍に被害を与える方が多かった。
高射機関銃も同じで地上戦での発射と異なり弾着が目視できないため、しばしば流れ弾となって自軍に被害を与えた。これは飛行機が飛んでいる時の事件だから敵から射撃されたと誤認することが多い。戦闘機が地上を機銃掃射することは当時余り多くなかった。低空飛行中、地上砲火による撃墜の可能性が高かったためだ。戦闘機の主たる任務は敵戦闘機を撃破し制空権を確保することだ。
この戦争でもカタログ仕様の通り装備を運用できない問題が多発した。
航空機同士による空中戦は発生したが頻度は低かった。また双方とも航空写真による偵察結果を重視しなかった。これは航空機の基地が前線から離れており、前線部隊の情報参謀に届けられるまで時間がかかりすぎたためだと言う。戦線は常に動きまた切れ目が存在したので、騎兵の活躍する余地があり情報参謀もそちらを重視したのだろう。
ただ戦争初期、ナナワ攻防戦の際、3機しか稼動していなかったポテツ偵察機は孤立したアイランドに数次に亘って、食料・弾薬の投下に成功した。この戦いはパラグァイ軍が捕虜だけでも4800人を得た大勝利で終わった。あるアイランドでは248人の兵士で1個師団3500人(ボリビア軍1個師団は普通の国の1個連隊に達しない)の攻撃を跳ね返したという。
1933年に入りパラグァイはアルゼンチンの仲介によりイタリーから新型の戦闘機を5機購入できた。これがこの戦争では最良の戦闘機で、パラグァイはパリティを多少戻すことができた。

フィアットCR20(FIAT CR-20bis)
1935年以前ではこれらが仏・伊・ソ連のなかで最新鋭機だった。エンジンは425馬力で標準的なものだ。ただ日・米・英・独は独自の全金属・低翼の1000馬力エンジンを搭載した戦闘機を開発していた。同様に爆撃機も双発・低翼・引き込み足が主流となって行った。この戦闘機が使用されたわずか2年後の1937年の日華事変では全く性能・外観が異なる地上攻撃機が登場した。
96式陸攻
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