山東軍が南京を守るを得ず敗退の兆しあるや南京日本領事は下関にある第二四駆逐隊司令と協調の上まづ予め領事館に武装せざる水兵20名を士官引率の下に派遣し、城内に在留する我が居留民を領事館に収容してこれが保護に努力した。然るに3月24日午前4時半いよいよ南軍が城内にいり始めるや最初は格別異常がなかったが間もなく南軍の将校は約30名の兵士を引率しわが領事館に来たり事なく退去した。
次いで午前7時半帯剣の兵士多数侵入し来たり暴行を始め我が水兵および領事館員等これを防止したに拘わらずこれを継続しその間我が駐在武官根本少佐、木村警察署長負傷するに至ったが正午国民党の代表来館して兵士の暴行を制止して領事館より去らしめ次いで南軍第6軍長も来館して警備兵を領事館に派遣するに至ったので始めて事なきを得た。
然るにこれに先立ち下関における我が第二四駆逐隊司令は前日山東軍の敗兵は渡江の際下関で略奪あるいは盗巣をなし危険の恐れあったから万一を慮って下関在住の日本人中まず婦女子を駆逐檜および日清汽船のハルクに城内の在留日本人は領事館にそれぞれ収容しおきたるも24日は英米の軍艦と南軍との間に砲戦開始されたるため更に危険を感じたるゆえ暫く下関在留日本人全部を艦内に収容した。
その際日清汽船ハルクに対しそこともなく射撃が起こり後藤機関兵流弾に当たりなお射撃はますます盛んであったので駆逐檜は居留民を収容して安全の水面に転じ形勢を注意することとした。
おりから城内危急の報に接したるをもって25日早朝駆逐隊司令は自ら特別陸戦隊を引率して城内の領事館救護に向かったが途中南軍側から城内は既に静まり危険なきをもって列強側の砲撃を中止させてくれとの報道に接したるもなお城内の混乱を慮り南軍側に交渉の上城内にはいり午前10時半領事館に到着午後6時半領事以下残留居民全部を駆逐檜に収容するを得た。
この間英米側では24日城内の居留民を英米領事館に避難させようとすると城壁から狙撃起こりかつ停泊の軍艦を目標にして乱射、これを始め甚だ危険となったによって英米の軍艦はこれに応じて射撃を始め一つは避難民保護のため一つは支那軍隊威嚇のため射撃は1時間続いた。英米司令の情報によると米国人男子90名余婦人45名英国人約30名行方不明の状態であったが25日になって米領事館も襲撃された模様で現に英国領事館員英国水兵3名負傷英国人港務員1名死亡し一時英米在留民は進退きわまったるも前記の砲撃のため支那軍隊四散し英米の陸戦隊は直ちに避難民を城外に助け出して軍艦に収容した。