オーストリア軍は総動員に失敗した。戦間期は、参謀総長コンラートの自伝やオーストリア公式戦記などが、これは鉄道官吏の無能が原因だと説明し受け入れられてきた。そして一旦総動員が開始されたら、すべて事前計画に従って動かないと大混乱になるという神話が生じた。
事前計画は正確な鉄道ダイヤにもとづいているから総動員下令後に変更不可能であると。
オーストリア失敗の原因を探ってみよう。
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事前計画 |
コンラート1回目の要求
7月30日
これに基づいて鉄道輸送が開始された。 |
コンラート2回目の要求7月31日夕刻 |
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A-Staffel |
ロシア向け:時間的に最優先でガリシアに送られる。 |
ガリシアに送ること。 |
ガリシアに送ること。 |
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Minimalgruppe Balkan |
セルビア向け:時間的に2番順位でセルビアに送られる。 |
B-Staffelにひどく遅れないよう、セルビアに送ること。 |
優先順位をB-Staffelより高く、セルビアに送ること。 |
B-Staffel
(第2軍) |
ロシア向けとセルビア向け両方に対応できるようにする。方向が決まったら最後に送られる。 |
A-Staffelと同時にセルビアに送ること。 |
A-Staffelに遅れることなく、ガリシアに送ること。 |
コンラートの1回目の要求は対セルビア戦を優先する考えにもとづいている。
2回目の要求には無理がある。というのは既に第2軍の軍用車両は、根拠地のプラハ、ライトメリッツ、ブタペストを出発していた。これはコンラートの要求に従い第1優先で車両を回したためだ。
このため鉄道動員技官シュトラウプは即座に拒絶した。するとコンラートは事情を察知して、そのままの車両に乗り第2軍はガリシアに向かえないかと要求を変えた。
シュトラウブはこれも出来ないと答えた。ブタペストとプルゼミスル間はカルパチア山脈を越えるため山岳鉄道仕様で車両構造が違うというのである。結局両者は一旦第2軍をセルビア方面で10日間待機させ、A-Staffelの車両が戻るのを待ちガリシアに出発させることで合意した。第2軍のガリシアへの到着は10日遅れとなりツロタリパの敗戦を招いた。これが混乱の顛末である。
また事前に@セルビアのみの攻勢、ロシアへは持久Aセルビアへ持久、ロシアへ攻勢B両方に攻勢、 などと場合わけして鉄道輸送計画をたてれば良いのではないかという疑問が生じるが、オーストリア公式戦記はこれにこたえていない。
四角内の番号は軍番号
これではコンラートの変心を除けば、オーストリアに選択の余地はなかったように見える。ところが最近の研究ではこれと違う結論が出ている。
すなわち、山岳地帯を通過する単線鉄道でも、もう1台機関車を連結すれば軽量車両でなくとも登れ、場合によれば車両数を少なくし急勾配地帯のピストン輸送は可能であり、実際重砲の輸送の際はそのようにした。
更に、最も幹線で複線化されているブタペスト=クラカウ線をオーストリア鉄道局はあまり利用しなかった。これはクラカウのラッシュ時の混雑を避ける目的だったとされる。また総動員後、軍用列車はスピードを常時の3分の1以下に落とした。これでは自転車のスピードである。オーストリア軍の鉄道移動速度は徒歩以下だった。兵員の安全を優先したためである。
要するにオーストリア=ハンガリー二重帝国は戦争をするように出来ていないのだ。ただオーストリア軍の兵員の補充や兵站は当初完璧だった。文明国とはそのようなものかもしれない。

B. Ederes, Verkehrswesen im Krieg, Vienna, 1930
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