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当時の町の占領の情況がよくわかる。これに書かれている通り、軍隊は敵の都市の入城する時隊伍を組んで堂々と行進するのが普通だった。そしてドイツ第8軍は戦場予定地において都市を除く地域では住民の総撤退を命じ、都市の住民については撤退命令を出さなかったことがわかる。この場合、市長は軍命令がなくともオープンシティまたは開放都市の宣言を出すことができる。
アレンシュタインはそうせず、いわば何もしないでロシア軍の入城を受け入れた。これも普通のことである。というのはオープンシティを宣言すると、味方の軍隊が反攻に出た場合市民はそれを阻止する義務が生じるためである。一方ドイツ第8軍はアレンシュタインに軍を残留させず、また住民へ武力抵抗を禁止している。これも当然のことである。夜第8軍は郊外で威力偵察に出た。
アレンシュタイン城
1334年ラジシー(Lajsy)によって建立された。ラジシーは古ドイツ語でドイツ人とみられる。
アレンシュタインはAlle川からの由来で14世紀半ばドイツ騎士団から城砦建築の許可を得た。
この城を始め市街全域はソ連軍により1945年徹底的に破壊された。1920年頃のアレンシュタイン駅
現在日本の地方都市でオープンシティと戦争もないのに宣言することが流行しているが愚かなことである。戦争の惨禍を防止することに役にたつどこかマイナスに働く。現実的な目を養うことが重要だ。ソ連や中国(共産)が広言した人民戦争は恐るべき無法な宣言であり、民間人を巻き込むことに意を介さない。同時に日本やドイツが開始した都市無差別爆撃は無法であり、連合国が推進したパルチザン闘争も厳密に戦果が計測されるべきだろう。
第一次大戦では各国はそれまでに確立された戦時国際法を一応は遵守した。各国軍隊とも都市などの占領のさい略奪、強姦・強盗事件をひき起こすことは公式にはなかった。もちろん相手国は敵が自国の都市を占領したさい、文化財・公共財を破壊したと非難することも多かった。ただ一部の例外を除いて誇張された戦時宣伝にすぎないと現在では判明している。
またツアーの軍隊とスターリンの軍隊の規律の差についてもみて欲しい。第二次大戦末のソ連軍の蛮行、それに続く住民追放・殺戮はロシア人のものではなくて、スターリンのものであり共産主義のものである。日露戦争においても帝政ロシア軍の軍紀が頽廃していた証拠はない。