秋山真之はこの時、アメリカ経由で同盟国のイギリス及び戦時同盟国のフランスを表敬訪問の予定にあった。二日後7月12日にパリに到着したとの外電も入っており、この対馬海戦勝利の参謀は外国でも著名な存在だった。日程からロイターのインタビュー自体は6月半ばに行われたものと推定され、ユトランド海戦の2週間後に相当する。
インタビュー自体も英語で行われたとみられ、日本語の用法とやや異なっている。
英独両国は艦隊が帰投した直後に双方とも海戦勝利宣言を出したため、論争が起きた。直後の段階では、両国とも敵に与えた損害のみを公表したため、正確なところは不明だった。秋山の評も被害に力点を置かず、制海権の確保など戦略面からの判断を行っている。そして戦闘巡洋艦(=巡洋戦艦BattleCruiserを直訳したのだろう。朝日新聞は巡洋戦艦という艦種分類を理解せず軽巡洋艦よりもやや攻撃力や装甲が強力な巡洋艦と理解したようだ。従って本文中の軽巡洋艦は、巡洋艦と解される。)の被害からドイツ外洋艦隊が再び外に出ることはないと予想した。これは的中することになる。
秋山は巡洋戦艦という艦種が当時(第一次大戦時)の海戦で最も役に立つことを相当早くから見抜いていた。帝国海軍が巡洋戦艦に最も建艦努力を集中したこと、またこの海戦の帰趨が巡洋戦艦によって決められ今後の制海権もそれによると判断したことはその証明だろう。
また露国艦隊に言及しているが、これは1916年7月(同月)日露協商が発表され、戦時同盟以上に両国関係が発展したことについて、海軍の支持を鮮明にしたものと思われる。
ユトランド海戦に戻る