秋山真之のユトランド海戦評

 秋山少将英独海戦評(朝日新聞、1916年7月10日外電欄)
 …8日路透(ロイター)社 紐育(ニューヨーク)

秋山少将は路透(ロイター)社員と会見しジュットランド沖海戦を論じて曰く ・ ジェリコー提督の報告に依りて判ずるに此の海戦は英艦隊の未曾有の大勝利にして一大成功なり ・ 尤も独逸(ドイツ)艦隊も頗る勇戦奮闘し其の力の限りを尽したるも予が英艦隊の成功を云々するは第一優勢なる英艦隊が遠く其の根拠地を離れたる戦場に能く(よく)其の勢力を集中せる事にして此の最大困難なる行動を遂行せるはジェリコー提督の最初の戦略的勝利なり ・ 第二英艦隊総司令官及び其れ以下の提督は全戦場に又其の何れの部分に於いても毫も戦略上の錯誤をなさざりき ・ 第三に英艦隊は終始全戦場を支配し制海権を保持せり ・ 第四独逸艦隊の損害は英艦隊の損害より遥(はるかに)大なり ・ 恐らくジェリコー提督の報告以上の大損害を蒙りたらん ・ 是れ予の英艦隊勝利を云ふ所以(ゆえん)なり ・ 予は対馬の海戦に際し作戦の枢機に与りたるが当時と現今にては武器、距離の諸条件において多大の相違を来たせるを以って此の二大海戦を比較すること困難なり ・ 予は思ふに独艦隊は再び海上に其の姿を現す事能わざる(あたわざる)べし ・ 独逸艦隊は戦闘巡洋艦、軽巡洋艦等に大損害を蒙りたれば今後ド級戦艦其の他の大型艦船を用ふる事能わざるべし ・ 何となれば此等(これら)の戦艦は巡洋艦の如き快速力ある戦艦(軍艦の誤りと思われる)の援助を要すればなりと ・ 秋山少将は尚(なお)付言して曰く ・ 予は露国艦隊を訪問したるが同艦隊は戦艦人員共に1年以内に其の資質を倍加せりと 


( )内は付加

秋山真之はこの時、アメリカ経由で同盟国のイギリス及び戦時同盟国のフランスを表敬訪問の予定にあった。二日後7月12日にパリに到着したとの外電も入っており、この対馬海戦勝利の参謀は外国でも著名な存在だった。日程からロイターのインタビュー自体は6月半ばに行われたものと推定され、ユトランド海戦の2週間後に相当する。

インタビュー自体も英語で行われたとみられ、日本語の用法とやや異なっている。

英独両国は艦隊が帰投した直後に双方とも海戦勝利宣言を出したため、論争が起きた。直後の段階では、両国とも敵に与えた損害のみを公表したため、正確なところは不明だった。秋山の評も被害に力点を置かず、制海権の確保など戦略面からの判断を行っている。そして戦闘巡洋艦(=巡洋戦艦BattleCruiserを直訳したのだろう。朝日新聞は巡洋戦艦という艦種分類を理解せず軽巡洋艦よりもやや攻撃力や装甲が強力な巡洋艦と理解したようだ。従って本文中の軽巡洋艦は、巡洋艦と解される。)の被害からドイツ外洋艦隊が再び外に出ることはないと予想した。これは的中することになる。

秋山は巡洋戦艦という艦種が当時(第一次大戦時)の海戦で最も役に立つことを相当早くから見抜いていた。帝国海軍が巡洋戦艦に最も建艦努力を集中したこと、またこの海戦の帰趨が巡洋戦艦によって決められ今後の制海権もそれによると判断したことはその証明だろう。

また露国艦隊に言及しているが、これは1916年7月(同月)日露協商が発表され、戦時同盟以上に両国関係が発展したことについて、海軍の支持を鮮明にしたものと思われる。


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