阿部政務局長暗殺事件

1913年9月5日早晩、刺客の岡田満(19歳)と宮本千代吉(22歳)は、阿部守太郎外務省政務局長を自宅付近赤坂霊南坂で襲撃した。宮本が後ろから羽交い絞めにして、前から岡田が短刀で二撃し刺殺した。南京事件(第二次)は8月31日に起きたが、二人とも8月下旬から阿部の私宅を内偵していた。これは明らかに相当な背後関係がることを想像させる。つまり第2次南京事件だけに憤慨し行動を決定したのではない。

岡田は2日後、同志の助けを得て某弁護士宅で割腹自殺を遂げた。その前に複数名の同志から自首を勧められたが、「20年も牢獄のいるぐらいなら中国革命のガンである袁世凱を暗殺する」と言いてこずらせた。実際には無理やり背後にいる人間が殺害したのだろう。また岡田の論理は「中国統一支持、孫文応援」のこの当時の日本の大アジア主義者の主張と一致していた。

宮本も大連に逃亡する途中、大阪商船嘉義丸船上で逮捕された。

岩田愛之助

二人と共謀した者は岩田愛之助(25歳)で、おそらく当局と示し合わせたうえ自首して出た。岩田は辛亥革命武昌起義に参加し重傷を負った経験があり、さらに浜口雄幸暗殺、十月事件にも関与した。

当時の警察の捜査方法はほとんど密告によっており、この事件の逮捕劇もその例に洩れない。首謀者は岩田であるが資金は黒竜会の内田良平から出ていた。また岩田は、玄洋社の頭山満とも親しかった。

ただ日本の極右組織の例に洩れず、構成員に暗殺を目的としているなどと綱領で明示するとか執行委員会で暗殺を決定することはない。従って黒竜会や玄洋社は黒幕とみられるものの組織的に共同謀議を行った事実はまずないと考えられる。ただ逃亡幇助者などは多数に上るが逮捕されたのはこの三人のほか二人のみである。これは当局の密告捜査という方法と関連があるのだろう。

サラェボの暗殺者と同世代に属するが、日本のテロリストの方はハプスブルグのくび木につながれているわけではない。その分世間に甘える構造はこの事件にも見られる。

岩田は首相山本権兵衛に遺書を残した。

近時青年の政治に関与するもの多く、その弊頗る甚だしといふ。実に至言也。トルコ青年党の如き、支那革命党の如き、青年の政治活動は甚だ効果の挙がらざる以前において、国家の秩序を破壊し、延いて国家を衰亡せしむるの例乏しからず。然りと雖も此の種運動は必然的時勢の要求にして、防止せんと欲して作し得るものに非ず。寧ろ之を指導して、国運の進展を計るに如かず。

この文章により、自己弁護、すなわち青年の政治参加への欲求は必然なので自分はそれを指導して国運の進展を計りたかったのだと、言いたいのだろう。青年の政治運動が暴力革命熱やテロに傾きやすいのは事実だとしても、必然というのは極端である。そしてならず者を組織化し社会に役立てていると言う暴力団の論理と同一である。また当時の日本には支那やトルコと違って議会政治と言論の自由があった。むろんテロリストにとってはなかった方が良かったのかもしれない。

そして重要なことが見過ごされている。中国で死んだ日本人の加害者は中国人の暴徒であり日本の外務省ではない。彼等が第一に処罰されねばならない。彼等は中国の国家主義者または無頼の徒である。日本の国家主義者であったテロリストはそこについて全く考えるところがない。「軍隊を送れ」は、「日本の軍隊を送れ」にすぎず中国内の治安回復を純然たる目的としたものではない。

すなわち警察行動であれば、多国籍軍を組成すべきである。北清事変やシベリア出兵は多国籍軍派遣であり、日本にとり決して悪い選択ではなかった。外国の国家主義に宥和することにより居留民の安全は計られない。小さい戦争(=警察行動)を選ぶ時は存在する。諸外国の賛同を得るべくその時こそ外交が必要なのだ。

ところが、多国籍軍となると勝利しても日本は中国で特殊利権という名の特別待遇を受けられない。大アジア主義者や居留民はそこが不満だったのだ。ところが外務省のチャイナスクールは、これらの人々と共感する所があった。この誤りを日本は日華事変まで繰り返し、第3次南京事件では英米の共同派兵の依頼を外務省のほとんど一存で拒絶している。

宮本と岩田は無期懲役を宣告され宮本は獄死した。岩田はその後恩赦をうけ出獄した。

大アジア主義者によるテロ

この事件は現在では忘れられているが、その後のテロ事件の原型をなすものだ。まず暗殺事件は明治前半期の政治的混乱のさなかの森有礼暗殺を最後とする一連のものが起きた後途絶えていた。この事件は玄洋社社員による大隈重信暗殺未遂事件の後に起きたもので経緯は似ている。そして類似の事件はこの後連続する。

テロ事件が発生すると必ず犯人に同情する世論が起きる。多くは復讐の連鎖を生むので、厳罰を避け、連鎖を断ち切ったほうが良いというものだ。もちろん、この議論の多くは犯人側の大義に賛同しているのだが…。しかしこの事件以降の日本の歴史はこの考え方が誤りであることを示している。つまり犯人を厳しく処罰できない結果、次の連鎖を生じているのだ。

殊に大杉栄らを暗殺した甘粕正彦、張作霖を爆殺した河本大作、5・15事件の犯人、柳条溝爆破事件の板垣征四郎・石原莞爾らは殆ど処罰を受けていない。これらはエリート軍官僚によるテロである。そして2・26事件で断乎たる処罰を加えた結果、青年将校(隊付き将校)によるテロは収まった。ところがエリート軍官僚によるテロは収まる所を知らず、終戦時には陸軍省軍人による宮城攻撃が起こった。結局軍官僚組織が崩壊するまで続いたことになる。

また未成年者が実行犯として登場した。未成年者は、オリンピックの子供の女子体操選手のように感情に動かされず正確に相手を襲撃する。従って成功率が高い。原敬を暗殺した中岡艮一、戦後の浅沼稲次郎を暗殺した山口乙矢、嶋中事件の小森少年を想起して欲しい。もちろんサラェボ事件のプリンチップも同じである。更に未成年テロリストは極めてマニュアル・信念に忠実で、犯行後の自殺指示も従容と従い、更には捕縛されて拷問にかけられても背後関係を明かさない。

未成年者テロリストの大義は、広範囲な支持を受けている場合が多くまた黒幕組織も強大である。この事件の犯人も黒竜会や玄洋社などの大アジア主義者の団体の支持を受けていた。司直はこれらのテロ組織にも手を入れ解散も含む断乎たる処罰を加えるべきだった。とくに資金源を温存させたのが失敗だった。この事件以降多くの民間会社が、テロの恫喝に屈し、背後団体に資金を提供するようになった。この恐喝に安易に応じる傾向は、総会屋が断然取り締まられた1980年代まで続いた。そして守秘義務をタテに郵便(貯金)局や民間銀行は資金洗浄(マネー・ロンダリング)にむしろ協力した。

団体の解散命令は簡単なことではないが、テロ組織を温存させることがどのような結果を招くかも検討されねばならない。また小さい戦争を厭う気持ちが結果として大きな戦争を招いている。多くの超国家主義者の「帝国主義者である外国人が自国領に入った場合、殺害してもよく、その財産は没収すべきだ。」という考え方と妥協の方策を見つけることは不可能だ。外交官はそのような場合適切な戦争目的を設定し、多国籍軍を結成する努力をする必要がある。他国の外交官はそのようにしていることを忘れてはならない。

ただ平和を唱えていても、平和を守ることはできない。戦前の日本の歩みが何よりもそれを示している。だが平和を唱えなければ、自国の平和も世界の平和も守れないのも自明だ。

そして日本人が中国大陸でなにか他国の人々に比べ特別扱いされることはない、と居留民に納得させることも必要だった。一方、現在にいたるまで中国を統治したあらゆる政権が外国人に内国民待遇を与えていない。

平和を破壊するテロはどのように発生するのだろうか。近世のテロはこの例のように自殺テロであり若い教育を受けた人間が実行者となる。この点で以前のものとは異なる。中世的なテロは自殺的でなく集団を構成しながら多くは部族(藩・血族など)集団の利害のため実行される。近世のテロは貧困や機会不平等が原因でなく、教育・繁栄が基礎にある。

テロの動機も多くは単純で、その時代・地域・集団で妥当とされている思想・宗教(社会主義・国家主義・独立分離主義・統一主義・イスラム・仏教・キリスト教・朱子学など)の目標を暴力を以って達成しようとすることにある。これを防止するには自由主義・啓蒙主義の普及以外に方法ない。すなわち暴力でなく、オープンな討論によって決着をつける方法である。戦間期、国家主義・社会(共産)主義に傾斜した日・独・ソにテロが多発し自由主義を堅持した英・米・仏にテロはほとんど発生しなかった。そして難しいのは自由主義・啓蒙主義を社会の基礎においてもなおテロは発生することである。これはワイマール共和国を見ればわかる。つまり社会の構成員全てが自由主義や啓蒙主義が尊いものだと理解しなければならず、それは極めて困難である。


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