ソンム戦における捕虜の虐待


第1次大戦では捕虜が交戦国間で比較的厚遇されたという説が残っている。しかしこれは事実と相当にかけ離れている。西部戦線ではイギリス軍がドイツ軍捕虜の取り扱いに最も過酷だったという見方が存在する。しかしドイツ軍やフランス軍が特筆できる程良好ではない。

ソンム戦のさなかドイツ軍は、イギリス軍が捕虜を一切とらずその場で射殺する方針だと兵に徹底し、これがドイツ軍がソンムで持ち場を離れず、徹底抗戦した理由だという説がある。またそれは決して根拠がないことではない。

イギリス軍は1916年6月28日、BEF参謀長名で各軍司令官あて以下を徹底させた。

当時、ハーグ陸戦規定があった。後にジュネーブ条約による捕虜取り扱い規定ができ、詳細について規定されたが、捕虜の認識や性格などは大きな改変は行われず、現在でもハーグ陸戦規定は生きている。この命令は個人意志による投降捕虜を否認しており規定違反の可能性が強い。

ハーグ陸戦規定

実際のところ敵側将校が伝令を出して降伏意思を伝えない限り、イギリス兵は戦場での投降捕虜はほとんどとらなかったようだ。塹壕戦は接近戦だから実際のところ敵でありかつ動けば射撃するしか方法がなかったと言える。

またイギリス兵は捕虜の私有財産の取り扱いも良好ではなかった。

WGベル初年兵の証言(本部伝令兵)
ドイツ兵をつかまえたとき最初にやる事、それは身ぐるみをはぐことさ。見えるものは全部奪えということだ。伝令兵(イギリス軍は伝令兵が捕虜尋問の警護を担当した。)仲間は皆ドイツマルク紙幣を大量に抱えているよ。実際使えるわけではないけど。

僕は帽子のバッジを集めるのが趣味だった。時計とか貴重品はここまで来る間にもうないしね。とにかく捕虜収容所に入るときは汚いものを除いて価値のあるものはないに決まっているよ。

これが塹壕戦の実態で問題は敵の顔が見える接近戦にあり、不必要な敵愾心を抱くのは連合国と中央同盟国双方同じだったと断言してよい。第1次大戦は政治軍事指導者(君主・文民政治家のトップ)が悪質でなかっただけで、軍司令部のレベルになればBEFの布告の通り戦争惨禍について防止する意欲に乏しかった。またイギリスの戦死者の5%は友軍砲火によると言われる。無数の砲弾が炸裂するなかで敵と判別し、伝令兵などを危険にさらしてまで捕虜を後送することが難しいことは容易に想像できる。

イギリス軍司令部はドイツ軍から残虐さを指摘され、断固として否認の声明を出した。「全世界を通してイギリスの正義とフェアプレイの精神は有名だ。全世界が知っているように無実の民間人を虐待し、子供の手を切断し、赤ん坊を銃剣で刺殺し、捕虜を拷問にかけたのはドイツ兵だ。たとえシューベルトやゲーテやシラーの子孫だとしても毒ガスや火炎放射器で始めに何も知らないイギリス兵を殺傷したのはドイツ人だ。ネルソンやウェリントンやクライブの子孫が捕虜を射殺するような残虐なまねをするはずがない。」と反論した。

イギリス軍司令部の論理はなぜか自己矛盾となっているが、それを問う以前に否認していることを確認すべきかもしれない。

塹壕戦という極限状態に追い込まれれば、日本兵・ドイツ兵・イギリス兵・フランス兵・ロシア兵・中国兵とも全て同じ反応を示すにすぎないのではないか。人種の優劣によって戦争の勝敗が決定されたり、残虐さを決定するという偏見から脱する必要があるのだろう。

上海攻防戦