阿片の「適度な消費」は存在するか?

阿片の「適度な消費」は存在するか?

阿片の「適度な消費」は存在するか?

ウィリスルームズ

パーマストン外相が「事後承認」で中国に艦隊派遣を議会に諮ったとき大きな反発が、与野党から起きた。このときの首相は自由党のメルボルンであった。だが、下院にたいして外交政策については、外相が責任を負っていた。18世紀中葉は、自由党(リベラルまたはラディカル)・ホイッグ・ピーライト(ピール主義者)・保守党(トーリー)が政権をめぐって争った。そして自由党が最左翼で保守党が最右翼とされていた。

ところが、後世と異なり、植民地主義においては、自由党がもっとも拡大を主張し、保守党が現状維持(それがためは独立主義者は弾圧)を主張した。

このときの政権与党は自由党・ホイッグ・ピーライト連合であった。そしてこの3派がは連合して、ウィリスルームズにおいて、1859年6月、自由党を結成した。

このとき将来の首相としてパーマストンとラッセルは出席したが、そののち4期首相をつとめたグラドストンは出席していない。グラドストンはパーマストンに隔意があったためといわれる。グラドストンは元来保守党に属し、ピールと行動をともにしていた。ところが、パーマストンは反ピールで保守党出身のリベラルであって、近い関係であるだけに余計反発したといわれる。パーマストンが組閣したときグラドストンは入閣したが、それは25歳も若く、そのうちに自分が主導権を握れると考えたためのようである。

その31歳のグラドストンが、1840年4月7日、下院において、中国への艦船派遣について反対の論陣を張った。これの主たる動機が、パーマストンへの反発であるのは想像にかたくない。演説自体は「正論」(矢野仁一『アヘン戦争と香港』)から出たものでは決してない。

支那はイギリス人のアヘン密貿易(contraband trade)を止めさせんとした。イギリス人が飽くまでもこの聞くもいまわしき醜汚なかっ無理無法な貿易を止めない場合には、支那はこれをその沿岸より駆逐する権利がある。わが外務大臣はその代理人を縦【ゆる】してこの貿易にたずさわるものを援助し奨励せしめた。

支那の領土に居住しながら、支那の法律に服従を拒むものに、支那が糧食を拒むのがどうして罪悪なのか。この戦争はどのぐらい続き、軍事行動はどのぐらい長びくかわからないが、これぼどその原因が不正義であり、これほどその進行がこの国の永久の恥さらしとなるべき戦争はかって聞いたこともなく。かって読んだこともない。

昨秋陸軍大臣(The Secretary of War)は世界いかなる地においてもかつてその侮辱が許されたことなきイギリス国旗が光栄に輝きつつ翻っていることは、いかにイギリス海員の心を鼓舞する上に効力があるかということを雄弁に述べられたが、イギリス人がイギリス国旗を見て常にその精神を作興するのは、なにによってしかるか。

それはイギリス国旗が正義の味方、圧制の敵、民族の権利(with respect for national rihgt)、公明正大な商業的精神を連想せしむるためでないか。しかるに今やこの旗はバーマーストソ卿指導の下に恥ずべき醜汚な貿易保護のために掲げられるようになった(a pirate flag to protect an infamous traffic)

もしこれが今支那沿岸において掲げられているような場合の外、掲げられることがないとすれぱ、われらはこれを見てむしろ驚怖の情を以て逃げ回るようになるであろう。依然としてそのりっぱな威風とりりしき荘厳とを示す気【げ】に、翩翻として風になびく時にも、もはやわれらは現に感動して血湧き肉躍るを覚ゆるような情感震慄【スリル】を覚ゆることはできないであろう。

( )内は英文で付加。矢野仁一『アヘン戦争と香港』より。

陳舜臣は下線の部分を「悪名高い禁制品の密輸を保護するためにひるがえったのである」と訳している(『実録アヘン戦争』)。これは「不名誉な交易を保護するための海賊旗になった」というのが順当であろう。そして、陳舜臣は阿片そのものが「禁制品」であるというとらえ方をしたいのだろうが、それは誤りである。

なぜかといえばグラドストンは、中国政府が輸入禁止にしたので、禁制品になったと推定した。一方、阿片は適度な消費であれば、人体に好影響を与えると思っていた。グラドストンは議会で演説する前には、コーヒーの中に精製阿片の粉末を落とし、飲み干すのを常としていた。1870年には、阿片の毒性が議論されたさい、政府委員として次のように答弁している。

[アヘンの危険性を訴える動議には]大きな問題が含まれている。アヘンの消費は人類の大半がほとんど必要不可欠としている他の嗜好品一stimulantーの消費に類似したものとして扱われるべきなのか。それとも、アヘンは、その性質において、タバコやアルコール類とはかけ離れて特殊なものであり、それゆえ我々は、それをその他のすべての嗜好品と区分せねばならず、アヘンに関しては全く例外的な規制の方法を採用すべきなのだろうか。

このような問いに対して、然りという答えと否という答えとが同様に強調されている。アヘンの過度の消費によってもたらされた、痛ましく恐ろしい、胸が張り裂けるような描写を見つけることはたやすい。

そして、そのような影響は一般的なものであると言われがちである。特定の場合においてアヘンの消費は疑いもなく過度となるにしても・正反対の証言も沢山あるのだ。中国では過度のアヘンの消費が存在し、このイギリスには過度の酒の消費それは不名誉と悲劇と犯罪の憂うべき温床となっている、が存在する。

それにもかかわらず、アヘンにしても酒にしても過度の消費の事例が存在するのと同様に、適量を守つた節度ある消費も存在するのである。

新村容子『アヘン貿易論争』より。

グラドストンは阿片の毒性について、酒や煙草と区別する必要は認めていない。また習慣性についていえば、酒や煙草も類似の性格があるのは事実であろう。

つけ加えれば、イギリスでは酒の過度の消費があり、中国では阿片の過度の消費がある、とグラドストンは論じている。イギリスにはジン禍があり、当時、下層階級が火酒に溺れつつあるという議論があった。一方、1870年代に入ると、中国における阿片禍は重大問題となりつつあった。清朝は阿片禍を排外主義政策に利用することはあっても、自国内で阿片禁圧策には出なかったのである。

ジン禍と阿片禍の間に、人種は関係するのだろうか?グラドストンは暗にその関係を認めている。そして阿片戦争が「阿片のための戦争」だとイギリスを非難してやまない陳舜臣も同様の結論をもっているかのようだ。すなわち「アヘンが東洋人の体質に合っていたことも忘れてはならない。憂き世のことを忘れるためには、西洋人はアルコールである。マンチェスターの工員たちも、そのアルコールが買えないので、やむなくアヘンで代用したのだ。アルコールは陽気で騒がしいが、アヘンは静かで、瞑想的である」と書いている(『実録アヘン戦争』)。

両者とも妄想である。ただ、舜臣はグラドストンより百年あとの人間であるという点が奇怪ではある・・・。おそらく、互いに、「自らの人種、イギリス人と中国人が優秀であり他とは違う」と誇りたいのであろう。

中国人はこのときにおいて、一人当たりの酒の消費でも煙草の消費でも、日本人と比べれば圧倒的であった。それではなぜ、全人口の50%が阿片を吸飲する(四川省)といったアヘン禍が、中国においてのみ発生したのだろうか?

これは貧しさと阿片の価格による。阿片は空腹の代替になるのである。もし、裕福であって食事に困っていなければ、阿片が習慣的にならずに済み、また禁断症状からの脱出も容易なのである。また、中国では阿片を煙草として吸うのが一般的で灰が再利用されるため、価格が下がったことがも一因である。

グラドストンは現代的な意味で阿片が禁制品と論じ、艦隊派遣に反対したのではなく、中国が輸入禁止品目とした阿片を、イギリス政府が輸出を続行するのが不正であり、林則徐による広東イギリス商館への暴力行使を正当としている。

このグラドストンの議論すなわち林則徐の主張、「主権国家は自由に輸入禁止商品を決定でき、違反した居住外国人にたいし、いかなる行政処分も可能である」は正しいのだろうか?

林則徐は、イギリス商館を包囲する前にバッテル"Emmerich de Vattel"の『各国律理』"Le droit des gens""The Law of Nations"を公行から入手し、数節をアメリカ人医師パーカー"Peter Parker"に訳させており、その内容はそのまま魏原の『海国図誌』に掲載されている。

その数節の主要部分は「あらゆる政府は外国商品の流入を禁止する権利をもつ。そのような禁止措置をうけた国民は、それについて不平をいう権利をもたない。というのはそれは事務室への入室を拒まれたのと同じであるからだ。彼らの不平は愚かしい。なぜならば、彼らは利益を否定されたにすぎず、自らの費用で禁止措置を行なう国家に拒否されたに過ぎないからだ」であって、残りの部分は開戦や港湾封鎖法規やなのである。

則徐は『各国律理』の全編を読んでいなかった。バッテルは、各国が強行措置(戦争、暴力行使など)に逃避するのではなく、それ以前のルールを定めようとしたのである。当然、ルールに従った政府が、ルールに反した民間人や政府にたいして強行措置を実行することは自動的には認めない。

そういった強行措置の前には対等な主権国家同士の話し合いによる解決(=外交)が前提になっているのである。

ところが清国政府は対等な外交関係を認めなかった。『各国律理』には、対等の外交をなしうる政府が、いかに国民の(選挙による/バッテルは直接民主制の国、スイス人であった)負託のもとに成立しているかについて詳述している。

則徐はバッテルの全用主義"Holism"が理解できなかったのであろう。中国外交官の「木を見て森を見ず」の傾向はこれからも歴史の節目節目に出現する。

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