四川省におけるケシの栽培面積は膨大である。それから作られるアヘンが高価なのと、その輸送が容易なので、ケシの栽培は水田などの耕地を蚕食しつつある。そしてこの作付け面積の増加は深刻な結果をもたらしている。一八九七年に四川省の東部で飢餓と困窮をもたらした食料供給不足の一大理由は、ケシに割かれる面積が大きくなりすぎ、不作の年に供給するための余剰食料が底をついたためである。これは四川省の住民自らが認めていることである。
中国におげるアヘンの栽培と使用の歴史について触れるつもりはないが、中国の官憲がこれが栽培され使用されるようになると由々しきことになると考えていたことは明らかで、その栽培と使用は勅令で禁止された。
きわめて信頼できる筋から得た話によると、六〇年前に広東人がアヘンの咳止め薬を貴州省と雲南省に持ち込んだ時、服用した人々がこれをやめられなくなったのが始まりとのことである。また、官憲はきわめて積極的にその使用を禁止し、雲南省では抵抗者の多くを死刑に処しさえしたとのことである。アヘンが国じゅうで棺に入れて密売されたのはこの頃からである。
今や四川省の多くの道沿いでは、わがロンドンのスラム街の酒屋のように、アヘンの売り捌き所が至る所にある。中国側の清報によると、四川省の大都市のうちの数都市では男性の八割、女性の四割がアヘン常用者であるが、これは彼らがアヘンで「身体がぼろぼろになっている」ことを意味するわけでは全くない。
中国には「節度ある」アヘソ常用者が大量に存在するからである。揚子江で私が乗った舟では一六人いたこの上なく貧しい曳夫のうち一四人までがアヘンを吸ったし、駕籠かきや荷物運び人夫のうちアヘンを吸わない者はほとんどいなかった。ほとんどの者が毎日ほぼ決まった時間にいわゆる禁断症状に陥っていた。
私の乗った舟の船尾は夜ともなれぱ全くのアヘン窟だった。そこでは、ぽろをまとった四人の男がアヘンランプをそばに置き、中国人苦力としての辛い日中には思い浮かびもしない極楽の夢を見ているような至福の表情をして、キルトの上で丸くなっていた。
そして、キセルの効き目がすっかりなくなるまでは、無気力状態から脱することができず、緊急事態にも対処できなかった。さらに船尾側では〈老板〉と金切り声を張り上げてうるさい女房が、同じように幸せに満ちた様子で横たわっていた。
歯が抜けミイラのように痩せこけた〈老板〉の顔には昼間だと鬼のような貧欲さだけが浮かんでいたが、夜には顔の筋肉が緩み、深く刻まれたしわは伸びきっていた。この男たちの一部は、寒さを十分にはしのげない薄くて着古したぽろのよう木綿の衣類さえも、その大半を万県で売ってしまつた。そうしないとアヘンを断つ、まさに〈死ぬような苦しみ〉を味わうことになったからである。
万県から内陸を旅した折には、麻薬欲しさに妻子を売ってしまった男たちがたくさんいるという話をよく耳にした。また保寧府では、アヘンが欲しくてたまらず、家や家具を含む一切合財をすでに手放していた夫婦が、私が滞在していた折に、保寧府の伝道学校で教育を受けていた一四歳のたった一人の愛らしい娘を、故郷に戻る甘粛省出身の残酷な毛皮商人に売り飛ばしてしまった。
アヘン常習者の所有する家や土地が欲しければ、その持ち主がアヘン欲しさにほかの財産すべて売ってしまえぱ遅かれ早かれその家や土地を二束三文で手放すと確信し中国人持ち前の辛抱強さで一、二年ないし三年待つのがありふれたことになっている。
また中国人の間では、「もし敵に復讐したいたら、敵を殴ったり、告訴したりする必要などない、そそのかしてアヘンを吸わせさえすればよい」ともよく言われている。中国人はきわめて節度のある場合を別としてアヘソの常用と賭博を一対の悪習だと咎めめており、いずれを弁護する声も上がっていない。
アヘン常用者自身でさえそうである。アヘン常用者がいくばくかの費用を払って自発的にアヘン患者保護所に入り、大変苦しい目にあって治す。また、地元の商人でごった返す市場町では、多数の屋台に並べられたおびただしい漢方薬などの商品に混じつて、外国タバコの治療薬という札をつけた包みを見かけるが、中国の西部ではアヘンのことを通常「外国タバコ」と称している。
アヘン愛好者には、もしそう呼んでよければの話だが、一種独特の良心があり、自らを道徳的犯罪者とみなすようになる。このことは私には印象的だった。中国人は、一人がアヘンを常用するようになると、その家庭の貧困と崩壊を招き、年老いた両親を世話するという儒教の一番大切な義務の一つを果たせなくなると、一般に考えている。
またアヘン常用者であるなしにかかわらず、アヘンの常用が罪深いことであり、嘆かわしい結果をもたらすと一般に考えているこのことからすると、アヘンは非常に多くの家庭に貧困と崩壊をもたらしていると考えざるをえない。中国人が日清戦争で日本人にやられたのは、日本が断固としてアヘンを退けているために日本人が中国人よりも強健なためであるという話を中国人から聞かされたことも何度かあった。
五月にはケシの収穫を見かけた。その担い手は女性と子供が主だった。朝にケシの朔果に縦に切り傷をつけて乳汁を沁み出させ、夕方までにそれを茶碗に溜めるのは重労働である。
その後、黒く変色した乳汁を二、三日天日にさらした後に袋詰めの準備をする。この作業の間に激しい雨が降ったり強い西風が吹いたりすると、大損害になる。トウモロコシやタバコ、ワタがすでに植えられているので、ケシを引き抜くとすぐにこれらの姿がはっきり現れる。
八年前だと女子供がアヘンを吸うことはむしろ例外的だったが、中国人の推定によれば、今や四川省をはじめとするアヘン生産地域では女子供の四〜六割が吸っている。またケシが栽培されていない所では、アヘン常用癖は主に都市に限られているが、急速に広まってきている。
アヘン常用癖は下層階級の人々の間で目立つ。出費がかさみ、このことが貧困の度をより深めるのである。彼らの考える最低限の生活必需品さえ満足に買えないのに、稼ぎの中からアヘン代を捻出する労働者が何百万人もいるのである。
それで、アヘン常用者と確認される貧しい人々は、ボロを身にまとい半ぱ餓死したようにみえることが多い。ただそれでも、何年か前[一八七九年]にマレーの諸州で見た、同じアヘン常用癖が原因でこの上なく見苦しくなった人々ほど恐ろしげな代物には出くわさなかったことだげは言っておかねばならない。
裕福で栄養も足りている階層の人々の間では、アヘソの害はおそらくは肉体的なものより精神的なものが大きいが、一般大衆の間ではこの二つの害毒が結びつく。下級役人や〈衙門〉[役所]の使い走りは限りなく暇なので、ほとんどがアヘン常用者になっている。四川省で私を護衛した役人は延べ一四三人に上ったが、二人を除いて全員がアヘンの愛好者だった。
このため私の旅はいつも遅れ、迷惑をこうむった。苦力たちも禁断症状が出ると急に元気をなくすことがしよっちゅうあり、私だけでなく彼ら自身にとっても都合が悪かった。また二つの町では衙門の複数の書記がアヘンを吸って恍惚状態にあったために、旅券を写すのに二時間も待たされた。