クルックのターン

ドイツ第1軍は8月29日コンピエーニュ近辺でエーヌ川を渡河し一路パリに向かうかに見えた。

しかし司令官クルックはBEFとフランス第5軍(デスパレ)を追撃することを決めた。この判断の是非は難しい。ただ多くの評者はそのままパリの占領に向かうべきだったとするがそれは暴論である。パリ周辺の野戦軍の掃討が終了すればパリの陥落は軍事的な措置ではなく行政的な問題にすぎなくなる。

軍事的にはウルク川またはマルヌ川で停止しBEF(イギリス遠征軍)とフランス第5軍の動きを見定め、アルザス・ロレーヌ前面にいたフランスの本軍を料理する選択肢があるかという問題である。もしドイツ第1軍がフランス第6軍(パリ軍:モーヌーリ)、BEF、フランス第5軍をよく引きつけることができれば、ドイツ軍の残余部隊は別に決戦方面を設定できた公算がある。

ただそれも決戦が開始される前にフランス軍は鉄道によりスイングされドイツ軍が局地優勢を占めるのは恐らく無理だった公算が強い。つまり基本的なことは防御側が自国内で戦えば、鉄道を利用できるが、攻撃側は徒歩でしかないという問題である。これはタンネンベルグ戦でも発生したことだ。

ある日本の観戦武官はクルックのターンを評して「凹地にわざわざ突入してはダメだ」と言った。これはこれで的確だろう。


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