フランス軍の当初編成地は第1軍の場合3個軍団半で編成地はリヨン他遠隔地だった。総動員と同時に、他の軍団の集結と予備兵の集中が同時にエピナルとベルフォールで行われた。
実際の輸送は馬・飼料と野砲・弾薬の負担が大きく、兵員はここでもたいした負担とはなっていない。またこの一帯、北フランスは当時フランスの中で最も鉄道網が集中していた。
フランスの兵員は交戦各国の中で唯一貨物列車に詰め込まれることがなかった。
左図でもわかるように、総動員下令により、5個軍が編成されたが、第4軍はやや後方で、戦略予備として意図されたことがわかる。実際は、第1軍の大部と第2軍がロレーヌに侵攻・撃退され、その後第3軍、第4軍はルクセンブルグ方面からアルデンヌの森を抜け、ドイツ軍中央を突破、両断しようとした。この段階、フロンティアの戦いの時、すべての師団は現役兵のみで構成されており、召集中または予備兵で構成された予備師団は全て後方で待機した。
この中央突破作戦はジョフルの即興によったもので失敗したが、それを許すフランス軍がいかに柔軟性に富むかがわかる。そして、ドイツ軍の数量把握を誤ったと悟るや、直ちに予備師団を全面動員し新たに2個軍を編成した。これも装備などを考慮すれば驚異的である。
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