海軍のダーダネルス海峡突破作戦

ダーダネルス海峡はエーゲ海とマルマラ海をつなぎ、マルマラ海を越えれば、ボスポラス海峡に入り、コンスタンチノープルに到着する。コンスタンチノープル=イスタンブールについて:トルコの呼称に従うべきだが、当時欧米(現在でもアメリカを除き)では、ドイツも含みこの都市を全てコンスタンチノープルと呼んでいた。戦前の文学書には君府と表されていて良い表現かもしれない。

コンスタンチノープルに固執するのはキリスト教徒の怨念だろうか。ただしトルコ人もこの呼び名を拒否していない。東方教会のコンスタンチノープル大主教は現在も存在する。イスラム教の方が他宗教の存在に寛容にみえるが、どうなのだろうか。

イギリス軍の戦略目的は第一にはロシアの通行路確保である。これがためには両海峡から砲台などトルコの軍事施設を一掃する必要がある。

ところがトルコの砲台は一部旧式のものを除き、移動性(野砲程度)がある100ミリ前後の重砲だった。これを多数150門程度並べただけである。1門当たりの弾丸は40発程度しかない。

ところがこれがよく命中し、戦艦の上部構造物が打撃を受けてしまう。反面戦艦の砲はなかなか命中しない。もちろんこの程度の重砲では旧式戦艦といえども沈没はしない。それでも水上艦で陸上の砲台を攻撃するというのは、射程内では無理なのではないか。

またキリドバール正面の狭隘部はわずか1.6kmしかなく、砲ではなく小銃の射程距離である。

トルコ陸軍はこの地区(人口の45%が集中するトルコの中心)に25個師団を集める実力があった。

やはりここは東ローマ帝国が首都と定めただけある要害の地なのだろう。


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