シャンパーニュ秋季戦でのドイツ軍の塹壕

線がすべてドイツ軍の塹壕で、フランス軍の情報をもとに日本の観戦武官が作図した。既に数条の軽便鉄道が敷かれている。

右下がスーアン(Souain)で上がサンマリエ(St.Marie)で仏軍の攻撃はスーアンから東、マッシージ(Massiges)にかけて行われた。日本武官はこの図面を航空写真から作図したフランス軍第4軍(カステルノー)司令部から得たものと思われる。ただこれは20万分の1の地図でフランス軍が実際に前線で使用した2万分の1の地図ではない。

これを見ると開戦1年にしてドイツ軍は相当の縦深性のある塹壕を構築済みだったことがわかる。赤線が疎らな所があるが、これは情報が得られていない場所で実際には、塹壕の本数はこれに10数倍する。

フランス軍はドイツ第3軍(アイネム)に75時間のドラム射撃(Trommolfeuer)をかけた。攻撃は3波に亘る大隊規模の横隊攻撃で、3日間で失敗と判明した。

この戦い(シャンパーニュ秋季戦)はジョフルがイニシアチブをとり実施した最後の攻勢となった。


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