ボーモンハーメル

ボーモンハーメル塹壕図

ソンムではイギリス軍陣地はやや高地に位置していた。ボーモンハーメル正面ではホーソーン高地と呼ばれる場所である。対するドイツ軍はボーモンハーメルの住宅地を囲むように布陣した。そこも周辺よりやや高い。つまり両軍の中間地帯=無人地帯は窪地となっている。幅は500メートルである。

この周辺では道は切り通しのような形で作られている。つまり道は周囲より人間の背丈程低い。地図では道の両側が抉れるように記載されている。また英軍陣地の塹壕は単調に見えるが、実際は記載されていないだけで、この数倍にのぼる塹壕線が整備されていた。

ヘイグはこの地形を利用して中間地帯の道まで秘密裡に交通壕を掘らせ、攻勢発起点を前進させた。しかしドイツ軍陣地に到達するにはかけ上がらねばならないことに変わりはない。

ボーモンハーメル(Beaumont Hamel)はフランス語ではボーモンアメルが正しく、一方英軍将校はビューモントハーメルと言っていたようだ。だが当時の日本の新聞はボーモンハーメルと表記しており、それに従った。ボーモンハーメルは7月1日の英軍総攻撃3ヶ所のうちの中央である。ただヘイグはここを攻撃の中心とし、ここの突破を夢見たようだ。英陸軍の新聞発表でもここの戦況が重点的に取り扱われた。その影響で日本でもこの戦いは当初ソンム(川)の戦いというより、ボーモンハーメル突破戦と理解されたようだ。

イギリス軍は下図のように横隊すなわち大隊を三波にわけ、約500メートル幅を250人で攻撃させた。兵士間の距離は約2メートルで当時常識とされた散兵攻撃という点からもはずれる。実際には正面突起部にあったホーソンリダウトと呼ばれた強化地点(トーチカ)から機関銃の水平射撃を浴びなぎ倒された。そしてリダウト周辺の第1線壕に飛び込んだイギリス兵は概ね占拠に成功している。ところが占拠だけで交通壕から来るドイツ兵と手榴弾の投げ合いが続き一進一退となった。直協の部隊は陸続と進んだがいずれも目標はリダウトの攻略とされ途中で殲滅される兵士が相次ぎ、壕を占拠した兵士の支援とならなかった。ヘイグらBEF首脳部は15キロ以上後方の司令部にあり、前線で何が起きたのか全く把握できなかった。

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