1914年8月25日夕刻の東プロイセンの情況

独第17軍団(17C・マッケンゼン)と予備第1軍団(1RC・ベロウ)が徐々に南西に進み、露第6軍団(6C・ブラゴフェシチェンスキー)と接する形勢となっている。

ビショフスブルグの南にある大きな湖がダダイ湖で、北にあるのが、大ラウテルン湖である。ただし大ラウテルウン湖の南にはアウアー湖と大ベッサウ湖が連なり、マッケンゼンは湖沼の東を通りベロウは西を通った。1RCと6Cの間の小さな字の6Bは後備第6旅団でレッツェン要塞から徒歩行軍してきた。



8月25日の南部の詳細図


ロシア軍の配置で第1軍団(1C)がドイツ第1軍団と後備混成第5旅団(5B)に向かい合っているが、ロシア第1軍団のうち2個連隊がワルシャワ付近にあり、また1個連隊はムラワ付近で警戒に当たっていた。このため実力は半分近くに落ちていた。この処置はワルシャワ集結中の第9軍傘下の近衛軍団の側面支援のためだった。

ロシア大本営は編成中の第9軍がトルン方面から奇襲されることを恐れ、ノボゲオルギエウスク要塞とワルシャワ2点に集結地を分けるなど不必要な策も講じた。一方騎兵師団として第15騎兵師団(15KD)と第6騎兵師団(6KD)がラウテンブルグ−ゾルダウ間で警戒に当たっているが、実は第15騎兵師団はドイツ軍の後備混成第5旅団(5Bミュールマン)に小競り合いで敗れ撤退中だった。

ロシア騎兵師団は定員約4500騎で当時ほぼ充足されていた。これが倍ではあるが後備兵(1個旅団8000人前後だが予備第35師団から砲兵中隊を借り受け5個中隊22門の野砲を持っていた。)に歯が立たないのだから騎兵は最早戦力にならないことがわかる。

しかしこれが予想外の反応をもたらす。まずロシア大本営はラウテンブルグ付近にドイツ第17軍団がいると誤認した。実は後備混成第5旅団は、中心はグロガウとポーゼン要塞の老兵だが他に各地の補充部隊から抽出した大隊が複数交じっていた。ロシア軍は部隊マークが各種あるために予想外の大軍と誤認した。

このため東方を警戒するためワルシャワを北上中の、騎兵第5師団・コーカサス騎兵師団・タジキスタンコサック旅団をラウテンブルグ方面に向かわせた。これが8月26日の第6軍団のダダイ湖周辺の索敵失敗による敗戦につながった。

更に上図ではロシア軍にとり第1軍団と第13軍団を両翼としてドイツ軍包囲殲滅の絶好の機会とも思える布陣となっているが、サムソノフは第1軍団にウスダウ以西には進出しないよう指示してしまう。そして第15軍団と第13軍団でオステローデ方面に出て片翼包囲(包翼)を計ろうとする。しかしこの西側へ向きを変える攻勢は無線傍受でドイツ側につつぬけで、ルーデンドルフは新着の軍をヤブロンケンの森後方予備第3師団(3RD)に連続させるように布陣した。


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