ユトランド海戦

ユトランド海戦

ユトランド海戦

ユトランド海戦

ユトランド海戦

1914年開戦から、イギリスとドイツ両本国艦隊は互いに基地に閉じこもったまま睨み合っていた。

イギリスは優勢な火力を利して、艦隊決戦で勝利することを作戦の第一としていた。一方ドイツは、1914年のシュペー艦隊の全滅およびドッガーバンク海戦でのブルーヒャー沈没などの敗北により艦隊温存主義に傾いていた。また両国海軍基地の周囲には何重もの機雷原が張られており、水上または水中からの攻撃は不可能だった。

ドッガーバンク海戦

ただドイツはブルーヒャーの損失により、主力艦について従来にない転覆防止、また誘爆防止措置を開発していた。主力艦で轟沈するケースは砲塔への直撃弾が火薬庫へ引火し大爆発を引き起こすのが主因と予想された。これを防止するため、仕切として防火扉を設置した。一方イギリス軍にその対策がなかった。

火力だけとると、ドイツの主力艦はすべて12インチを主砲としていたのに反し、イギリスはすでに超ド級戦艦を運用していて、14インチおよび15インチの主砲を装備していた。つまり、単艦同士の叩き合いになればドイツは相当の劣勢であった。

ユトランド海戦のイニシアチブをとったのはドイツのシェール外洋艦隊司令長官だった。シェールは戦艦の火力劣勢を、潜水艦および巡洋戦艦で補うことを考えた。すなわち潜水艦をスカパフロー軍港の周辺に配置し、イギリス連合艦隊が出撃して出たところをたたき消耗させる。次にドイツ巡洋戦艦部隊(ヒッパー)を先行させ、イギリス艦隊をドイツ戦艦隊におびき寄せ、合同で挟み撃ちにするという作戦せある。

1916年5月31日、早朝シェールは5隻の巡洋戦艦部隊を先行させ、残余の外洋艦隊の総力、ド級戦艦16隻・旧式戦艦6隻を後続させた。周囲に巡洋艦と駆逐艦が偵察部隊として配置されたのは言うまでもない。

まずヒッパーが午前1時デンマーク沖を北上した。そして1時間遅れ、シェールの率いる戦艦部隊が出発した。

イギリス側はこのドイツの動きを無線通信が頻繁に発せられたことにより知った。このときイギリス連合艦隊は28隻のド級戦艦を保有しうち6隻は15インチ砲を搭載する超ド級戦艦だった。そして9隻の巡洋戦艦部隊(ビーティ)があった。つまりド級艦同士の対比では英37対独21となる。

ホワイトエンサン(セントジョージ旗、イギリス海軍旗)のたなびくなか、ジェリコは二列縦隊となってスカパフローより、旗艦アイアンデュークに座乗して出撃した。右先頭がアイアンデューク

ドイツの潜水艦隊は12隻スカパフローをとりまく形で配置されていたが全艦イギリス連合艦隊の出港を捕捉するのに失敗した。これは第2次大戦でも繰り返されるが、潜水艦を索敵任務で使用して成功する例はあまりない。駆逐艦も同様だが単艦での視界は光学機械に頼る範囲では高くなくまたこのような夜・早朝では難しい。結局日本海軍のように主力艦の砲戦後残敵を処理する方が成功率は高いのではないか。また仮に発見できても単艦で艦隊を狙っても成果はあまり期待できない。

もちろん一旦出港したシェールはすぐ引返せない。敵艦隊は発見できず12時をこえ午後にはいった。

そのころ連合艦隊(ジェリコ)も外洋艦隊を発見できないでいた。だがジェリコもシェールと同じことを考えていた。すなわち巡洋戦艦部隊(ビーティ:この時4隻の超ド級高速戦艦を含む)をスカパフローよりも南部フォース河口に置き先行して進ませた。

巡洋戦艦部隊を先行させた結果、両者は14時30分主力部隊を後置する形で遭遇した。ドイツ巡洋艦部隊(ヒッパー)は長距離での砲戦を挑みながら、ドイツ主力部隊のほうに誘導しようとした。この時ドイツ5隻・イギリス13隻の比率である。ところが量と砲口径の差があるにもかかわらず、砲戦開始15時48分であるが16時26分までにイギリス巡洋戦艦インデファティガブルとクイーンメアリーが撃沈されてしまう。インデファティガブルは弾薬庫への誘爆が原因とされる。旗艦ライオンも相当の被害をうけたがビーティはひるまなかった。

砲塔の構造

全速をあげてドイツ巡洋戦艦部隊に突撃して行った。そしてドイツ主力艦隊(シェール)を目視できるところまで追撃した。

そして目論見通りシェールが向かってきた時、連合艦隊主力(ジェリコ)の方向に反転し誘導した。すべてがジェリコの作戦を実現させたかに見えた。しかしジェリコは砲戦の音が殷殷と響きわたるなか、敵と味方がどの位置にいるのかわからなかった。砲戦の音のする方角に進むかそれともジェリコと並ぶ位置につけるか迷ったあげく、いきなりシェールの艦隊の側面に出た。

18時30分から両者全艦隊が遭遇する砲戦が開始された。初期の砲戦でまたもやイギリスのインビンシブルが撃沈された。しかし劣勢をみてシェールは逃走を決意、煙幕をはり西方へ進路を変えた。これをみたビーティは南方に直進し帰路をふさごうと決意した。だがジェリコは有効な追跡を試みようとしなかった。理由は不明である。逃げるドイツ人をみて戦略的勝利を確信したのかもしれない。

西方に進んだシェールは20時15分再びビーティの巡洋戦艦部隊に遭遇した。しかしシェールに戦闘意欲は残っていなかった。巡洋戦艦部隊を後衛にたてながら帰路を急いだ。ビーティは約15分間砲撃を加えたがジェリコの支援を得られず、追撃を断念した。しかしこの砲撃によりドイツ巡洋戦艦リュッツォウは大破し帰投後廃棄された。また同型艦セイドリッツも大破した。

5隻どの艦も被害を受けていたがヒッパーはこの後衛任務をよく遂行した。しかし帰途に構えたイギリスの駆逐艦部隊は夜を徹して魚雷攻撃をかけた。ドイツの中小艦も加わり夜戦が一晩中続いた。そしてドイツ旧式戦艦ポンメルンが魚雷により撃沈された。だが翌朝までにシェールもヒッパーも基地への帰還を果たした。

この戦いでイギリスは巡洋戦艦3隻と補助艦艇11隻、ドイツは旧式戦艦1隻巡洋戦艦1隻と補助艦艇9隻を喪失した。イギリスの戦死者は6096人、ドイツは2551人だった。

この戦いが終了したあと双方が勝利を主張した。ドイツはイギリス艦隊により被害を与えたと主張した。イギリスはドイツが再度、艦隊として行動することが困難な物理的打撃を与えたと言った。両方とも言い分は事実として正しい。ドイツの巡洋戦艦部隊は全艦その修理に6ヶ月かかる打撃を受けた。

ウィルヘルムスーハーフェンに帰投したドイツ巡洋戦艦セイドリッツ。

セイドリッツはこの戦いで21発の直撃弾を受けた。上部構造物はほとんど破壊されたことがわかる。それにも拘わらず沈没しなかったのは誘爆防止扉のためと考えられる。

だが艦隊決戦という点では双方とも不満は残った。実質的に戦闘を行ったのは巡洋戦艦で戦艦の出番はあまりなかった。イギリスの主力戦艦艦隊はほとんど主砲を使うことなく終了した。本来双方とも索敵−誘導役として期待された巡洋戦艦が砲戦の大半を行った。

それでもドイツの戦略目的、仮に消耗戦としても以降ドイツ艦隊とイギリス艦隊のパリティを等しくするという目標は達成されなかった。これは煙幕による早逃げが原因か、それとも潜水艦が期待された役割を果たさなかったかはわからない。

ドイツの作戦はアメリカの抗議による潜水艦戦の中止により潜水艦の有効使用を考えたことがそもそも発端だった。またドイツの第1次大戦中の建艦政策は潜水艦の大量建造であり水上艦ではなかった。このため、超ド級戦艦の建造ではイギリスに遅れることになった。

開戦当初、陸戦で圧倒的勝利が予想されるなか不利な海戦に出る必要はないという大戦略がそもそも問題だったのだろう。時間がたつうちに状況はますます不利となった。潜水艦の目的も通商破壊中心で、艦隊決戦の補助には準備が不足していた。

それでも砲の威力では劣るにしても、主力艦はこの海戦では五分以上の働きをした。ドイツ海軍に欠けていたのは、フランス流エイランかもしれない。数で劣勢な海軍は敵を全滅させねば戦争の勝利はないという信念である。その点でドイツの勝利の意志を喪失させたイギリス海軍とりわけビーティの突進が賞賛されるべきかもしれない。ジェリコの追跡にかける迫力は欠けたが、ドイツ艦隊が自分の艦隊を見て逃げたことを確認したあとであり、横綱相撲なのだろう。

決戦的海戦では古来、味方が敗戦と思われるくらいの打撃を受けてもひるまず、徹底殲滅するという気迫と残敵掃討への執念を持たねば勝利できない。

ドイツ外洋艦隊は残る戦争の期間、基地から出ようとしなかった。艦隊の温存は敵に脅威を与え拘束することはできるが、敵が保有している制海権を奪うことはできない。すなわち制海権をもつ優位な海軍のとりうる方法ではなかったか。

秋山真之のユトランド海戦評

この海戦で日本海軍からの観戦武官2名が戦死した。またあとで海軍部内でこの海戦について主としてどちらが勝ったかと論争が行われた。なかなか決着がつかず、最後東郷元帥に意見を求めた。元帥は「イギリスの勝ちにきまっちょる。海戦の結果どちらが被害が多いかなどは勝敗となんの関係もない。ドイツは逃げた。ドイツの負けだ。」と語った。

この海戦についてもっとも的確な評のような気がする。



Costello, J.,and Hughes, T., Jutland 1916, London, 1920
Harper, Admiral J.E.T., The Truth about Jutland, London,1927
Bennett, G., The Battle of Jutland, London, 1964

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