別宮先生
1955年当時の日本には、活版印刷しかありませんでした。黒い腕カバーとバイザーをつけたオッサンが白熱灯の下で鉛活字を1コ1コ、ピンセットで拾っていた。
活版印刷は文字が紙よりヘコんでいますので照明の光線が反射せず、読み易いのですが、なにしろコスト高で、今では滅多に見られません。
印刷用語で今も慣用します「ゲラ」という言葉は、この活字を2頁〜8頁分組んで四方を木枠で締め付けた「組み版」を“galley”と呼んだことから来ています。
ちなみに、スペースの部分にも空白の活字を填めねばならないのですが、ときどき、その部分が飛び出したり、印刷機の力が加わってしまい、「=」のようなマークが印刷されてしまうことがよくありました。これは「クワタ」と呼びますが、語源は「クォーター」です。
「ゴシップ」が「ガセ」に化けているのにも似た、日本近代の歴史を感じさせる用語でございます。
また余談ですが、言葉を反転させる「符牒」、これはかつては犯罪者や下層庶民が使ったものでしたから、東京山の手の教養ある家庭では、子供が使うと叱ったものです。
たとえば「ネタ」などという言葉を上層民が口にするのは憚るべきなんであります。「タネ」と言わねばなりません。
お話を戻しますと、この活版印刷が、80年代後半に、鉛版の代りに「フィルム」を作る「オフセット」印刷になりましたことで、印刷出版業の人件費はとても合理化された。
特にゲラ直しが簡単になったんであります。
オフセット印刷では、インクが紙より盛り上がっていますので、光線がテラテラと反射して本文の文字は非常に読み辛いものがあります。
このオフセットのフィルムと申しますのは、光学的につくりますが、カメラのフィルムのように光学的に印字するのではない。
要するにリトグラフの石膏が、半畳ほどの薄く透明な合成樹脂シートになったものでして、膜面に光学的に微細なキズをつけ、その微細なキズに最初にインクを吸い込ませ、次に用紙に圧着させることで機械的に印刷がなされる次第であります。
このオフセットがDTPと結び付きましたのが90年代。これで編集部の人員は、最低限度まで合理化されました。
しかし『戦車マガジン』当時ですと、FDで入稿してくれる著者は少ないのでタイピストを外注しなければならず、しかも割付したデータをなんと8インチ・フロッピーに落として「写研」さんに持っていき、そこで印画紙に活字出力してもらって、その印画紙を持ち帰り、カッターとハサミで切ってスプレー糊で大きな台紙に貼り、それをこんどは印刷会社の営業マンに渡して、そこで写真にとって原版フィルムを作るという工程が必要だった。外注のコストが嵩んだんであります。
それがなんと今ではMacから直接に印刷用の原版フィルムが作れるんであります。カラーもCRT上でぜんぶ加工できる。
入稿以後の作業では、外注の必要がほとんどなくなりました。
入稿もインターネットです。8インチ・ディスクなんて、見たことある人は少ないでしょう。(ちなみに記憶容量は3.5インチの2DDと同じなんですよね。あんなにでかいのに。)
野生はむしろ、これでも6倍にもなっているのはなぜか、と考えるのです。もちろん、日本の労賃全体がベースアップしていることが最大の原因でしょう。
それから、次のような事情もある。
1950年代の本は万単位で刷りましたが、いまは千単位で刷るのです。とてつもなく「多品種・少量生産」になっている。これもコストを圧縮できない一つの要因でしょう。
あとは、印刷所、取り次ぎ店、書店の人件費だと思います。著者が要求する稿料も、物価スライドです。
取り次ぎ店のトラックが運んでいるのは、ほとんどが「売れない、返本される本」だということです。
これだけの構造的なコスト・プッシュ要因があり、なお6倍強というのは、逆に物価の優等生かもしれません。
では将来はどうなるか?
紙はなくならないでしょう。冊子はとてもブラウジングし易い。これはPCでは代置は不能です。
しかし書店はもう無理です。毎週数千点の新刊を、何年も前の分までぜんぶ並べておけるわけがない。消費者としては、欲する書籍が店舗に無い蓋然性の方が高いのです。したがってサーチ・コストが高くなりすぎるため、どこの書店にももう客は行きません。他方、雑誌目当ての常連客は、携帯カメラで必要な頁だけ盗撮する「デジタル万引」に走るでしょう。
ちなみにこの対策としては、目次以外を「袋とじ」にしてしまう方法が考えられるでしょう。「ペーパー・ナイフ製造業」の株は「買い」……かも。(ほとんどは輸入でしょうけど。)
となると、ホーム・ユースのプリンターを高性能化するのが正しいのだろうと思います。
まず、買いたい本はインターネットで注文する。すると、カネと引き換えにデータが送られてくる。それをプリンターに出力すると、ちゃんとした「冊子」になって出てくるのです。
「製本機」の機能付きのプリンターが全家庭に普及するでしょう。
ファクシミリも、冊子をそのまま「電送」できるようになるでしょう。
もちろんコピー機も、「冊子複製」がその場で可能になる。
さて、ご承知のように、卵の値段は戦後ほとんど値上がりしていません。しかし、それは「輸入」のおかげだと言われています。
これは、卵を生むめんどりが米国産なのであります。そのめんどりは国内では再生産ができない。「新品」を米国から調達し続けるしかないのであります。
野生がふざけた話だと思いますのは、自動車メーカーが中国進出しているはずなのに、自動車は依然として「高い」ことであります。
野生がハイティーンだったころ、つまり1980年代後半ですが、スズキの軽4×4の「ジムニー」(まだ360ccだった?)は、確か47万円くらいで売られていました。
しかし今では軽自動車も100万円以上するでしょう。なんでこれが40万とか30万にならないのか。中国で安い車をつくらずに、日本のメーカーはどうしようというのか。
たとえば「バギー・カー」のようなスケルトンな構造にして、原付と同じ30km/hしか出せない、そういう都市用の「買い物車」が20万円で中国から逆輸入できる筈だ。
高齢化時代には、そんな車が求められている筈でしょう。
ボロな車を安く大量に輸入するという構造があって、はじめて日本の「車検」業界もその存在が正当化されるのではありますまいか。
これについて先生は如何お考えでしょうか?
また、関東と関西の都市部の消費者は、自家用車がボロボロになる前に新車に買い換えるという長年の習慣を、大不況の今も維持しているのでしょうか? 北海道では、かなりなボロ車も街で見かけるのですが……。
あと、日本の企業が中国に進出し、中国政府に税金を払っているのは、このままでは中国軍をとてつもなく強化することにならないでしょうか。