
(1863-1945) イギリスの政治家。
ウエールズの教師の息子。同時代の他の政治家と違い門地でも金銭でも恵まれた境遇になかった。またウェールズ自由教会の信者で国教徒ではない。弁護士として頭角をあらわし、1890年自由党から下院に初当選した。1908年蔵相となり有名な人民予算(社会福祉をはじめて盛り込んだ。)を組んだ。開戦後は断固たる戦争指導を支持した。ロイドジョージは長期戦と近代戦の本質を比較的早くつかんだ。アスキス内閣がガリポリ作戦と砲弾不足問題で動揺したとき、困難な軍需相を引き受けた。短期間に砲弾不足問題や機関銃増産を処理した。
更にキッチナーの死亡後陸相に就任し1916年12月アスキス内閣を倒壊させ首相となった。Uボートとの戦いでは海軍首脳部の反対を押し切り護送船団方式を導入した。しかし西部戦線での大量の損失に直面し、将軍たちと対立したものの有効な対策を打ち出すことができなかった。人々はまだ盲目的に軍人を尊敬し、文民政治家を軽蔑する傾向があった。1918年カイザー戦に直面しついにヘイグを連合国総司令官フォシュの下に置くことに成功する。政治的には断固たる継戦論者だったが、東方派とよばれる、西部戦線以外に活路を見出す考えをもっていた。
パリ講和会議ではドイツにとりわけ賠償で厳しい条件を付することに反対だったが、新聞を中心とする世論に押され、フランスの要求に屈した。1922年チャナック危機により保守党の支持を失い首相を辞した。その後公職のつくことはなかったが下院の議席は保持し、1940年チェンバレン首相の弾劾演説を行い、チャーチル内閣の成立に手を貸した。
下僚には何故か厳しく政治的に徒党を組むことを嫌ったようである。一時ヒトラーを礼賛するなど失敗もあったが、イギリスの20世紀を代表する政治家であることは疑いない。
自著;War Memoirs of David Lloyd George, six volumes, London 1933-6
(邦訳);世界大戦回顧録 全9巻 内山賢次他訳 改造社 1941
The Truth About the Peace Treaties, two volumes, London 1938
Woodward, D., Lloyd George and the Generals, London, 1983
Hazlehurst, C., Politicians at War: A Prologue to theTriumph of Lloyd George, London, 1971カイザー戦に戻る
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ロイドジョージのソンム戦の回想