イギリスの政治家
カナダのニューブランズウィックで生まれた。イギリス以外で生まれ唯一首相となった人物である。2歳のとき、母親に死なれ、母親の出身家庭であるキドストン家に引き取られた。キドストン家はグラスゴーで銀行を経営していたが、男子がなく、アンドルーは嫡子とみなされた。
16歳で学校教育を止め、キドストン家の銀行で働いた。その合間にグラスゴー大学の夜学に通い学位をとった。商才にたけ30歳で鉄鋼貿易金融会社を買い取っている。
1900年、保守党から下院議員に当選した。ジョセフ・チェンバレンの保護貿易派に属した。
1911年、ウォルター・ロングとオースチン・チェンバレンの間に上院改革をめぐって論争があり、両者が下りる中、保守党(当時UnionistsPartyを名乗った)のリーダーになった。
戦時中、自由党が連立派(ロイド=ジョージ)とアスキス派に分裂したさい、政権を掌握する機会があったが、野党となった自由党が戦争遂行に消極的になることを恐れ、政局とすることを避けた。自ら役職を得ることよりも、国益を優先する態度は立派だと評するべきだろう。第一次大戦イギリスの影の政治的指導者であった。
バルフォア、アスキス、ロイド=ジョージ三代の首相(更迭)人事を事実上決定した。しかし、いずれも嫌々ながらの決断だった。
1918年選挙で大勝したが首相をロイド=ジョージに譲り、1921年引退した。後継をボールドウィンとしたが、チャナック危機のさい引っ張り出され、1922年10月、首相に就任した。直後、咽喉ガンと診断され、1923年5月、辞任した。約半年後、病死した。
遺骨はウェストミンスター寺院に埋葬された。アスキスはこの事を「無名の首相が無名戦士のわきに葬られることは誠に適している」と評した。嫌味ともとれるが、反面偉大な人物だったと考えていたのかもしれない。

Robert Blake, "The Unknown Prime Minister: The Life and
Times of Andrew Bonar Law, 1858-1923", London, 1955
チャナック危機に戻る
挙国一致内閣に戻る