幣原外交と広田弘毅

ニミッツ
戦間期は日本がヨーロッパ諸国から極東について掣肘をうけることがなくなりました。しかし、日本の外交官は適応不良を起こして国を誤らせました。

別宮
私は外交官として国民や政治家によく説明することなく日英同盟の廃棄に応じた幣原と、日独伊防共協定を締結した広田は同じような失敗をしたと思います。第1次大戦前の英仏協商は軍事面の条文は無かったにも拘わらず、イギリスにとってフランスとの協調は800年振りの大変更です。

日英同盟はロシアが存在しなくなり重要でなくなったというのは納得できないし、アメリカの圧力があったのはもっと納得できません日英同盟自体が日米協調を前提としており駐米大使としてアメリカに説明できれば解決できた公算は強いのです。現在は日英同盟の廃棄は、アメリカというよりむしろカナダ・オーストラリアの圧力だと判明していますが、幣原は事態の把握および問題点の除去に失敗します。幣原の問題はその常識人としての基本的な外交への取り組み姿勢より、その無能さにあるでしょう。

広田は吉田茂と外務省同期でかつ閨閥をもちません。この点では幣原や吉田とも異なります。また部下の信頼も吉田よりはるかに高いのです。面倒見がよかったのでしょう。ところが外交官としての事績をみると、否定的になります。前任者のコースを変更するとき日本ではよくこのような官僚が現れます。

吉田が回想録「回想10年」1−4のなかで、戦前の外交のうち一番強く批判しているのは日独伊防共協定です。また広田に東亜連盟(大アジア主義を標榜)への参加を求められたとも言っています。外交官にとり大アジア主義は同盟政策とはならず世界政策にはなりません。ところが大アジア主義者は反英または反植民地(日本のは除外するのが没論理だが)の点で親ドイツとなりその結果世界が二分され対立することに鈍感となります。

これらは外交官にとり死活的な問題のはずですが、広田は簡単に原則を譲ってしまうのです。

ニミッツ
幣原は旧連合国との協調路線を貫き、中国に内政不干渉の方針をとったことで現在でも評価するむきがありますね。

別宮
外交官というのは難しい職業だと思います。職務として国家主義すなわち国益を中心に据えて行動せざるを得ないと思うのです。人事益、閨閥益、外国益を国益より重視してよいのでしょうか。また現在の視点で裁いてはならないと思うのです。当時は殖民地拡大が国益と判断されていたのです。職務上、日本の合法権益や日本人の人権を擁護する必要があります。国際主義の外交官は存在しません。

ただ大国の外交官は世界平和を維持するという使命感も持ち合わせる必要があります。第1次大戦ではドイツの外交官でもそれはあったのです。現在でもあるいは日本の外交官に欠けるのはそれです。

幣原は漢口事件で不介入を貫き内政不干渉を実行しかつ未来の日本の大陸での戦争行為を予見していたと主張される事があります。これは買かぶりでしょう。漢口事件ではイギリスが日本軍の出動要請をしたにもかかわらず断っているのです。幣原のワシントン会議以来の反イギリス意識が関係したかもしれません。

この事件は領事館員も犠牲になっており紛らわしいのですが基本的には在外居住の日本国民(臣民)の保護の問題です。現在では武力での保護は国際法上困難とされています。当時は規範がありませんでした。ただし幣原の動機の一つは中国在住邦人の蔑視からです。当時、大量の日本人が大陸にいました。山東省だけで2万人を越えたと言われます。動機は唐ゆきさんから大陸浪人まで複雑だったと思いますが現在のように企業派遣が中心ではありません。

ところが当時ヨーロッパ、アメリカ人の中国在留者はは企業派遣的な人々です。幣原が軍の出動を拒絶したのは出稼ぎの人々へ同情する必要はないというような単純な理由だったのではないでしょうか。

内政不干渉は言葉として存在するのは間違いありませんが、外交というのはそもそも内政干渉です。現在でも人権擁護のための内政干渉の是非について米中で論争がありますが、どちらを支持すべきかは明白でしょう。

ニミッツ
幣原が成功させたというワシントン会議はどうですか。

別宮
成功というより日本にとり歴史的な失敗でしょう。

ただこれは日本人がかなり共通にもつ欠陥のようなものに関係していると思うのです。シドニーオリンピックで柔道無差別級の篠原選手が誤審で敗れました。ところがスポーツ評論家は相手のフランス選手を問題にします。しかしフランス選手はルールに則って行動しているだけです。

問題はルールと審判団にあります。柔道は美しいスポーツです。相手の意思に反して、場合によれば100キロ以上ある体を逆さまに投げ飛ばすスポーツは他に存在しません。あらゆる格闘技の写真を参考にしてください。しかも実用的です。それであればこそ全世界180ヶ国以上に普及したするスポーツとなりまた最も人気のある格闘技となったのでしょう。マットに年中体をこすりつけたり、防具で全身を覆ったり、あるいは相当の確率で選手が死亡する格闘技より美しく感じるのは当然でしょう。ところが美しさの判定は常に困難が伴います。

柔道発祥の地にいる日本人は、国際的なルール作りの場であまり論理的とは言えない主張を繰り返しました。すなわち体重によるハンディキャップの否定と白色柔道着への固執です。柔よく剛を制するのが柔道としても、体格で上回る選手はやはり確率的には下回る選手より勝つ公算は強いのではないでしょうか。もちろん実際のところ柔道というスポーツは柔道を知らない人間により技がかけやすいのは当然です。そこでは確かに体重は無関係でしょう。すなわち相手に重傷を負わせずまた過剰な武器を使用せず犯罪者を屈服させる手段として極めて実用的に優れているのです。しかもこの実用性はスポーツのルールとは関係がなく成立します。仮に関係させるとすれば1本をハンディキャップも加えて数量化する必要があります。これは柔道の方をより変質させるでしょう。

また柔道着を白に限定するのも論理的でしょうか。白を神聖とみなす人種なり宗教はそう多くありません。また色を違えて片方が有利になるのでしょうか。

つまり柔道はルールに未だ欠陥があるのです。明らかなミスにクレームをつけられないルールは修正されるべきでしょう。事実判定にしても大相撲がビデオ判定をとりいれています。もちろんこうした主張は特に長老と呼ばれる人が批判しますが。また話しはそれますが、高橋尚子選手がマラソンでスパートをかけた地点はアンザック橋と呼ばれていました。ここで疑問があります。第1次大戦でアンザック軍団を護衛してスエズまで送り届けたのは日本の南遣艦隊(加藤寛治)です。ところがそれを記念するものはシドニーにはありません。

アンザック軍団

日本の海軍水兵はオーストラリア兵・ニュージランド兵の護衛のため命をかけたのです。両軍は共同して戦ったのです。毎日新聞の記者はシドニーオリンピックで取材した際白人記者より不利益を受けたと言います。この国にはまだ白豪主義の残骸が残っているのでしょう。オーストラリア人は原住民をアボリジニと呼んでいます。しかし英語でアボというのは嫌悪すべきという意味でしょう。また、原住民の生活態度矯正のため年少者を親から切り離し家事労働者として無償で使ったというのはナチスとどう違うのでしょうか。

現在でもオーストラリア・ニュージーランドはアンザックデイを設け国民の祝日としています。せめてシドニーに日本の南遣艦隊の記念を残すことはアンザックを忘れないとすれば普通の行為です。それがオーストラリア人にはできないようです。またできればニュージーランドの白人は審判となったら白黄で差別はしないようにお願いしたいと思います。そして正しい英語を要職の方には喋ってもらいたいですね。オリンピックガイムズと言われるとやる気がなくなります。

ワシントン会議はオリンピックで言えば競技と国際的ルール作りの二つの側面がありました。幣原は競技だけに目が行きルール作りの方は抱負、経綸また能力もありませんでした。幣原の主張する内政干渉反対はルールになりません。というのはバイラテラルな外交はすべて内政干渉の側面を含みます。もちろん相手の主権を制限するような内政干渉はしてはならないのかもしれません。しかし、それでもルール化は困難です。幣原はワシントン会議でルールについてはアメリカの主張を反駁することなく全部認めました。この時機会均等・門戸開放・中国主権領土の尊重など全て認めました。

たぶんルールについてはアメリカ人の主張の方が自分や日本の世論より正しいに決まっていると思っていたのでしょう。また認めたことを国内で説明しませんでした。当然アメリカはその後の日本の行動をルール違反として難詰しますが日本人の方は艦隊の比率にしか興味がなくアメリカ人の言い分が理解できません。すなわち、日本人はルールは他人が作ることを望む反面、ルールで処断された場合、審判やルールでなく相手を恨む傾向を有しているのです。

ニミッツ
幣原が譲歩したのは何か事情があるのでしょうか。

別宮
幣原の外交は会議成功主義にみえます。つまりワシントン会議そのものを成功させようと考えていました。日本を出発したときワシントン会議が日本が原因となって失敗する事は避けるべきだ、というのが重臣間の総意だったといいます。しかしいつの世にも重臣・老人というのはこういった平穏第一の考えをとるものです。

海軍からは加藤友三郎が出席しましたが、屈辱的な対英米6割を呑まされます。

実は英米はこの時、主力艦均等で握っていたのですね。ところが補助艦艇では折り合いがつかず日本は間にたって仲介までしています。英米双方の意図が幣原はわかっていなかったのです。また悪いことに日本の海軍の事情もわかりませんでした。海軍は秘密主義(軍機だから当然ですが)で既存の主力艦の性能諸元を隠していたのです。しかも性能が公表よりもどうも劣っていたようです。

またこういった事は各国にもあり第1次大戦時、ドイツの巡洋戦艦はイギリスのものに比較して常に1インチ口径が小さかったという問題を抱えていました。ヒトラーはこの政策を海軍の最大の失敗だと騒ぎました。

日本も第1次大戦前、中途半端な建艦政策をとり失敗艦ばかりだったのです。ところが大戦時の造船ブームで日本の造船能力は飛躍的に上昇しました。主砲を中央に設置せず前後・中央線に配置するという秘策を練っていました。また艦橋における統一指揮など日本海軍は優れた技術革新を果たしていました。その集大成が88艦隊です。建艦競争自体をあおるわけではないですが、外交官の任務が国益擁護にある以上、海軍の事情に通暁しその発展を計ることは責務でしょう。せっかく回復の糸口をつかみながら芽をつまれれば怒るのは当然でしょう。

外務省の仕事は他官庁との調整もあります。また在外公館は威信や接待のようなことに目を奪われ、他国の真意や方針の分析を怠っていたのではないでしょうか。

極端に言えばワシントン会議でアメリカは一方的に10:10:6の比率を発表し、イギリスのバルフォアは日英同盟廃棄の圧力をかけていたのですから幣原は席を蹴って日本に帰ればよいのです。論争のすえ物別れになってもアメリカは逆上する国ではありません。それに場所も東京を主張すればよいので設定が既に失敗でしょう。

協調と安易な妥協を混同してはならないと思います。…会議を成功させることが友好国の義務とは思えません。そもそも海軍の艦隊派の言う通り、海軍の軍縮だけとりあげて議論するのがおかしいのでアメリカでもイギリスでも反対派はいたのです。チャーチルは日本と同じく反対すべきだったと第2次大戦後にいたっても書いています。その上景気浮揚の観点からみればこれ程愚かなことはありません。

軍縮=良識などはチャーチルが聞けば驚きでしょう。軍拡=不道徳は認めますが。当時における軍縮というのは反面敵の攻撃の可能性を増しますから自国のアイデンティティに自信があれば許せないでしょう。とくにこの時の軍縮は中心が英米日仏伊と旧連合国だけで話しているのです。

アメリカの目的も不必要な屈辱感を日本に与えることではないはずです。外交交渉は講和会議とは違うのですから、ポーツマスのように振舞う必要はないでしょう。日本が大きく見えれば見えるほど、アメリカの対外的立場はヨーロッパ諸国とソ連にたいし強化されます。

吉田茂以下、第2次大戦以降の政治家・外交官は全てそれを利用しました。第1次大戦前も同様でしょう。なぜ戦間期だけできなかったのか、幣原の存在は一つの理由でしょう。また日本の外交官は第2次大戦以降も含めてよくやっていると思います。とにかく問題なのは戦間期です。

幣原は変更を目論ではいませんが、外交官として重要な資質と思われる歴史についての研究を軽視したのでしょう。アメリカの孤立主義にどう向かい合うのか最後まで方針を出せずに表面を糊塗しようとしたのです。

二人とも石井菊次郎と小村寿太郎の薫陶をうけたのですが、2代目はやはりダメなのかもしれません。吉田茂が常に幣原をマンガ化しているのは面白いですね。幣原が英語のそれ程の達人だったか今となってはわかりませんが、マッカーサーは明らかに吉田の英語の方を評価していたようですね。言葉は発音より発言の内容でしょう。

幣原は英語力と外務省以外は人にたいする判断力をもたなかったというのは言いすぎでしょうか。

戦前の外交はすべて軍の無軌道さ、とくに陸軍の暴走に求められていますが職業外交官にも失敗したものがいるのです。そして国家とか国民以前、すなわち選民意識とかイデオロギーと関係なく官僚の無定見と思いあがりによる失敗が歴史を作り、戦争の原因を成すことがあります。

ニミッツ
広田は人柄がよいという人がいますね。

別宮
友人としてつきあうなら吉田より広田でしょう。マスコミも戦前戦後ともここのところは賛成のはずです。吉田は、米軍占領下でも中国(共産)とのパイプを維持しようとしていました。ところが本人は反共主義者でかつ蒋介石とも懇意です。こういった人間は友人としてもちたくないですが外交官としては必要です。

(注)広田弘毅については公式伝記ではない各種伝記がある。広田に限らず、外交官の伝記については戦前の外交官についてもいわゆる「よいしょ」に属するものが大半だ。参考にしにくいものが多い。もし伝記作者の言う通りだとすると誰が日華事変の終息工作に失敗し、誰がドイツとの同盟策を始めたのか。外交官は神様ではない。戦前でも日本の役所は縦割り行政だ。

そして同僚の回顧録でもほとんど他人に批判的なものがないのに驚かされる。マルクス主義歴史学者のものでも外交については陸軍に横車を押され参謀本部外務局だったという解説が多い。もちろん外交官は国策があって外交を推進するのであって、国論の分裂は避けねばならない、と考える。すなわち策は別のところから授けられ、それを成功させるのが外交官の敏腕だと考える傾向を有する。

日本の他の官庁の例に洩れず人事は内部詮衡だから外交官でも派閥はあるに違いない。しかしそれを外部に露呈させることは極端に避けるのが外務省の特徴だろう。

広田は玄洋社の会員だったと言われる。また山座円次郎(支那公使)、加藤高明と親しかったとされるが徒党を組んだようにみえない。そして大アジア主義を心底から信奉していたようにも見えない。広田の肉声は読売記者の高宮太平が伝えている。高宮が軍部大臣現役制の復活、防共協定のことで広田に感想を求めたところこう語ったという。

「陸軍がいくらでしゃばっても、実際政治というものはそんなに簡単なものじゃない。陸軍がやりたいなら、政権を陸軍に渡してもいいじゃないか。必ず失敗するから、その時でなければ彼らは目がさめないのだ。下手に外部から目を覚まさせようと焦るより、自分の手で覚まさせるほうが近道だよ。」

高宮は「それも一方法でしょうがその失敗が小さな失敗では懲りないでしょうし、大きな失敗だと国の運命にかかってきます。それよりも、軍に政治的野心を払拭させる根本方策を講ずべきではないでしょうか。」と指摘した。

これにたいし広田は、「なに軍人だとてそう馬鹿ばかりはいないよ。中にはまじめに考える者もいるはずだ。」と軽くあしらったという。

広田の言辞はまるで高校の学芸会の役回りを振っているかの如くだ。しかもこの陸軍は日華事変で身動きがとれなくなり、撤兵と正面装備充実で混乱しかつ外交や財政など無能・無知な集団である。しかも広田はそれを承知しているのだ。

こういった自分の言辞に酔ってしまう人物が首相となるとは。結局能力というより理想とか人権に力点を置ける人物が必要なのかもしれない。高宮によると外相の有田はこのとき防共協定に反対だという。また陸軍内にドイツとの軍事同盟を推進した有力人物はこの時存在していない。広田は陸軍を持ち出して防共協定成立に動いたと思われる。

また2.26直後、広田内閣組閣時に陸軍が干渉したと言うが真実だろうか。伊藤正徳らの主張が根拠だが、吉田茂らの入閣を阻むに当たり陸軍を持ち出したのは自分自身ではなかろうか。陸軍は単純で組閣に介入できたこと自体を喜んでいる。ここまでは事実だ。しかし今まで介入できたとするならなぜこの時点で喜ぶのか。広田がマッチポンプをやって陸軍省の局長レベルが参画できたとして喜んだにすぎないのではないか。

この後、松岡洋右が外務大臣の時、武藤軍務局長に「陸軍省の小僧が知ったようなことを言うな」と面罵している。外相というのは当時、陸軍省など歯牙にかけない勢いを示していた。ドイツ側の記録では松岡はヒトラーに将来松岡自身が日本の唯一の指導者になる積もりだ、と言ったという。ヒトラーと異なり松岡に陸軍参謀本部などは眼中になかったのだろう。

この注は「昭和の将帥」高宮太平 図書出版社 1973 を参考にしました。

ニミッツ
外交の失敗が戦争に結びつくことはよくあるのですが、両人とも開戦時には生きていましたが1線から退いていました。太平洋戦争の開始時は東郷外相ですが、影響はあったのでしょうか。

別宮
他の外交官への影響という点では広田は圧倒的でしょう。東郷も広田の子分と言われていました。しかし広田は徒党を組んで人事を壟断するなどの低レベルの人間ではありません。

純粋に外交官としての力量を問題にすべきでしょう。また広田は極東軍事裁判で一切弁解しませんでした。なんとか死罪を免れた陸軍の関係者が法廷戦術の失敗だと揶揄することがありますが、それは誤解です。人格は立派だったと思います。

立派な人格者でも失敗する所が戦間期の外交官の置かれた難局なのでしょう。トラウトマン工作のところなどでは広田の判断に思わず「なぜだ」と叫び出したくなります。広田外交という言葉はありません。なにかそう呼ばせないものがあるのでしょう。松岡外交はあるのですが。

ニミッツ
幣原は人格から行けばどうなんですか

別宮
戦後幣原を批判する本はほとんどありませんがどうしても幣原外交に納得できません。漢口事件の非介入は中国への内政不干渉主義の実践だという見解には反対です。こんな形で外務省役人の判断ミスが容認されるのはたまりません。無辜の自国民が暴徒に虐殺される場面にいたら外交官と軍人は独断専行してまず軍事行使を計るべきです。独断専行はそれがためにある言葉です。

もちろん他国民救助でも構いません。内政干渉議論より人権がいつの時代でも優先すべきです。そして人権の最大のものは殺されない事です。すなわち治安です。

しかしこれだけでは幣原に失礼ですね。外交官が高踏的であっても許されるかもしれません。幣原にしても広田にしても外交の総路線を決める立場にあったのです。幣原はアメリカとの協調を選び広田はドイツを選びました。この点では幣原を評価すべきでしょう。ただし幣原の方法が国内で嫌われ広田のやり方に流れていった可能性もあります。広田は高踏的でなくとくに陸軍に自分から身を差出していったことに注意してください。

そしてこれら基調となる外交は世界を分断しますから重大ですが、反面戦争の引きがねを引いているわけではありません。引きがねを引くとは軍事作戦計画の実施です。

ニミッツ
最近の論調で外交も含めてアメリカの圧力に押された。そのため自存・自強(彊)のためやむをえず立ちあがった(戦争を開始した。)というのがありますね。

別宮
そのあたりは広い意味で陰謀史観ですね。だいたい証拠がありません。状況も反しています。アメリカもイギリスも日本の参戦を阻止したかったのです。ルーズベルトは誰それの圧力にあったとか、3ヶ月前にこういった密談をチャーチルと交わしていた、真相はこうだというものですね。次回は陰謀説に焦点を合わせましょう。