ニミッツ
ここで前に戻るようですが、結局中国現代史の鍵を握るのは、農民にあると考えるべきなのでしょうか。
別宮
先進国とりわけ、世界戦争で活躍した、G5+ロシアの諸国の純農民の占める割合は人口の5%にすぎず、農村人口は20%前後です。
ところが現在でも中国においては、純農民が44%+20%(郷鎮企業従業員)、そして農村人口は80%に達します。すなわち疑問となるのは、同じ中緯度にもかかわらず、なぜこれだけ農村人口が多いのかという点です。
そして、この人口構成のまま、先進国入りはおろか、後進国の末尾グループからも抜け出せないでしょう。中国人は世界中で特別の人種ではなく、中国は世界で特別の国ではないのです。
ニミッツ
中国農村は太古から変わらないようにみえます。アジア的停滞というのですか。
別宮
マルクス主義歴史学者のようですね。
まず中国の人口ですが、明の永楽帝(在位1402〜1424)の時の人口は六千六百万人を数えていました。
日本はこの時、足利義満の時代ですが、人口は千五百万人と推定されます。つまり中国の人口は五倍程度であって、現在のような十倍以上という開きはないのです。そして中国の人口はこれから減少に向かい、清の初めの順治帝(在位1643〜61)には二千百万人まで落ちています。これは多分に内乱と外敵によるところが大きいと思います。一方、日本はこの間に二千七百万人まで増加しました。つまり江戸初期、徳川家光の時代には、日本の人口は中国を上回っていました。
徳川家光はキリスト教徒またはその教義に脅威を感じましたが、建国間もない清国に脅威を感じたふしはありません。そして、清中期になると中国の人口は爆発しました。すなわち、
康熙帝 (在位1661〜1722) 二千四百万人
乾隆帝 (在位1735〜1795) 一億七千七百万人
道光帝 (在位1820〜1850) 四億千三百万人
と急増し、江戸末期では日本の人口が三千万人と推定されますから、約十倍という現在の比率の原型に近づきます。
ニミッツ
日本の方が中国より人口が多かったのですね。ひどく意外です。
別宮
日本の江戸時代は地方も含めて、都市文明が花開いています。つまり人口の三割近くが都市に居住していました。江戸と大阪はすでに百万都市であり、地形を生かした内航海運が発展し、ほぼ一体となった経済圏が成立しています。
清時代の中国の首都、北京においても、人口は二十万人程度で、他に大都市と呼ばれるに値する都市はありませんでした。とくに明国は海禁主義、すなわち国家を通さない貿易を禁止し、また倭寇の跳梁のため、沿岸に都市をつくることをさけました。倭寇が明の奥深く侵攻できたのは、この人口格差が小さいことが大きな要素となったと思われます。
そして清国も海外貿易について同様の方針をとり、港湾都市を建設することはありません。その結果、現在の中国の沿岸大都市、広州、香港、上海、青島、大連など、人口百万を越えますが、いずれも過去から大きな都市であったわけではなく、外国人が基礎をつくったものです。これは、歴史上珍しいと言わねばなりません。
ニミッツ
では清時代なぜ人口が急増したのでしょうか?
別宮
理由は領土拡張と水田技術の普及に求められます。。清はいうまでもなく、満州にいた女真族の一部が樹立した国家であり、中国の多数を占める漢民族とは、言語や伝統をこと異にします。そして、歴史上よくある事態ですが、ある国が別の国に攻め込み併合すると、攻められ占領された国の領土が一挙に膨れ上がることがおきます。例えば、イギリスにフランスにいたノルマン王が攻め込み占領すると、イギリス領土がフランスをも含むような外観を呈しました。
漢民族にとり、常に強力な、また執拗な敵は北方からきます。現在ある万里の長城の大半は秦の始皇帝がつくったものではなく明の時代につくられたものです。すなわち漢民族の自然国境は明の時代においても万里の長城です。清は北方の敵の問題を解決し、国境を一挙に北方におしあげました。
更に明の時代、農業は揚子江デルタ地帯や珠江デルタ地帯に及ばなかったのですが、清の康煕帝、乾隆帝は四川省奥地を征服するとともに、ベトナムとの国境を現在のものとしました。そして、日本側の事情によるところが大きいのですが、揚子江下流地帯の倭寇の跳梁もおさめ、治安を回復させました。
これに伴って、漢民族は四方に移動を開始した。その多くは開拓農民であり、一ヶ所定住が可能な場所を発見すると、その都度、家族や宗族を集める方法で、移住していきました。ところが、新定住地では新たな開墾を始めねばならず、また灌漑水路や住居の建設は大きな負担であり、移住したからといって労働生産性が向上したわけではないのです。
ニミッツ
中国の農業はなぜ生産性が低いのでしょうか。
別宮
農民一人が耕作できる土地は、機械化などがないとすれば、一定です。新たな労働力が手にはいらない限り、可耕地を得たとしても収穫を増やすことはできません。
誤解もありますが、穀物生産を中心とする農業は熱帯よりも、中緯度地帯に向きます。なぜならば夏の日照時間が中緯度地帯の方が、熱帯よりも長いためです。穀物は一年生ですから、冬の日照時間は影響しません。それがゆえに、中緯度地帯の農業はわずかに、熱帯よりも労働生産性において良好です。
この事実は社会に大きな影響を与えます。
つまり、農民(家族)が百人いたとして、中緯度地帯では三十人余剰な人々、すなわち農村内の非農民や農村外に住む人々を養うことができますが、熱帯では二十人しか養うことができないとすると、この差は重大な結果を招きます。
これを単純化して説明すれば、中緯度地帯は都市に住むことができる人口を増やすことができます。現在、世界の大都市が中緯度にある国に集中し、産業革命が中緯度の国を先頭にして起きたのは、これに起因しています。
ところが、中国はこういった近代化、「人口の都市への集中」「産業革命」に中緯度にある国であるにもかかわらず失敗しました。これは「海岸線をもつ国」「非内陸国」のなかで唯一の失敗例です。つまり、日本、韓国、トルコ、ヨーロッパ、北米、南米、南ア、豪州全部成功していますが中国だけがうまく行きません。この中国の失敗は何によってもたらされたのでしょうか?
これの答えは次にしましょう。